いきる:人口減少とともに 農家民宿 /山形

優しいじい、ばあと食事 修学旅行、台湾観光客も
飯豊町中心部を流れる白川沿いを上流に向かって走る。白川ダムから、さらに10キロ上流に、中津川地区がある。民宿経営の素人だった地元農家が始めた「なかつがわ農家民宿」が12軒続いている。
 
4年前に8軒で始まった農家民宿は「田舎のじいちゃん、ばあちゃんといろりを囲んで食事を共にでき、昔ながらの日本の生活を体験できる」と評判になっている。春には、山菜採りや田植えなどの体験を目的にした千葉県や宮城県から修学旅行の中学生を受け入れる。昨年秋から年初にかけては、台湾の観光客92人が初めて宿泊した。
 
同町観光協会によると、農家民宿12軒を含む同地区の「里親会」が中学生を受け入れたのは08年が初めてで2校、111人だった。09年には2倍の4校209人になり、昨年は6校374人と順調に増えた。
 
しかし、農家民宿を始める前は、地区の行く末を案じた。合併して飯豊町になる前の旧中津川村時代の81年に白川ダムが完成した。農家民宿組合長の伊藤信子さん(72)によると「ダムの上流に残された人たちが栄えたことはない」といわれ、若い人は村から出ていった。
 
92年ごろには町工場がなくなり、03年ごろからは、65歳以上の人口割合が半分を超える「限界集落」と否定的に取り上げられた。民宿経営仲間の五十嵐あいさん(73)、五十嵐京子さん(63)は口をそろえて言う。「限界集落という言葉は悲しく、つらかった。中津川が好きで、ここに住んでいたかったし、何とかしたかった」
 
90年代から国の提唱で始まった都市部の人たちに農業体験や自然に親しむ機会を提供する動きも参考にした。07年に一念発起して農家8軒が自己資金で家を改修し、農家民宿を始めた。その後4軒が加わった。
 
料理は、地元に伝わる郷土料理。近くの山で採れる山菜や蕗(ふき)、クルミなど自然の恵みをふんだんに使う。蕗を砂糖煮にした菓子や、小豆の羊羹(ようかん)、カボチャやジャガイモの煮物など、素朴な香りが生きる。都会の宿泊客から「久々に満足した」と褒められるという。
 
中学生には、年寄りの優しさも魅了に映るようだ。「これは、あんた方が昼間とった山菜だよ」と、おひたしなどにして夕食に出すと「おいしい」と大喜びしてくれる。
 
伊藤さんが「いつも何食べてるの」と尋ねると、母親が働いている家では「朝はパンで、夜は塾に行ってからコンビニ弁当を食べる」という子も少なくないという。「子供たちは、たとえ一泊でも心を開いて、帰り際には『帰りたくない』と泣き出す子もいる」と話す。五十嵐あいさんも「夫に『じい、と呼んでもいい?』という子もいた」と子どもたちとのふれあいを楽しげに思い出す。
 
町観光協会の二塀裕基さん(36)は「先生たちは最初、生徒が泣いて別れを惜しむ理由が分からなかったが、日ごろのストレスを抱えた子たちが自然の中で、じいちゃん、ばあちゃんに孫のように扱ってもらえたからだと分かった」と話す。
 
また「台湾では飯豊町がテレビで紹介されたこともあり有名になっている。雪が珍しいようで、今後は本格的な雪の時期にも農家民宿で台湾観光客を受け入れたいと考えている」と意気込んでいる。

編集後記
時代を切り開く「事業、組織、人材」戦略
いかにして未来に通じる「事業戦略上の次の一手」を見つけるか。第一の鍵は、現場現実のメカニズムをスピーディに解明することである。それは可能である。事業のフロンティア突破の鍵は、「三時間」か「三日」、あるいは「三週間」以内で、スピーディに解明できる!
ところが筆者の経験では、その結果、半分以上の確率で「未来に通じる打ち手」が、想定外の世界にあることが判明する。そしてそのとき人も組織もためらってしまうのだ! 著者は、様々な実戦事例を紹介しながら、多くの企業が「古い戦略思想」の影響下で、 従前通りの打ち手を繰り出し続けがちなメカニズムをえぐり出し、未来を志す読者の意識に揺さぶりをかける。

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本書は、人と組織が戦略的に動くための実戦的なヒントや方法論を伝える、本格的かつ実戦的な現代版経営戦略書である。
大前研一氏、米長邦雄永世棋聖、中條高徳アサヒビール名誉顧問、斑目力曠ネミックラムダ創業経営者らが共鳴、推薦。

町田のバイク販売店が「レンタルFC事業」会社設立−市場拡大目指す /東京

外車・輸入車のオートバイを販売する「Kizuki(キズキ)」(町田市小川)が3月、「レンタルバイクFC事業」に特化した新会社「キズキレンタルサービス」(埼玉県鳩ケ谷市)を立ち上げた。

同事業は、発売から3年以内のドカティやハーレーダビッドソン、KTM、BMWなどの外車やホンダ、ヤマハなどほぼ全ての車種を短期間、一定料金で貸し出すもの。 2006年モーターサイクルショーへの出展で話題を集め、FCシステムを開発。5月初旬現在、全国の大都市部を中心に直営とフランチャイズを合わせて83店舗で事業展開を図り、約1,500台のレンタルバイクをそろえる。

「売り上げは倍々で伸びている。バイクの販売台数は減り続けているが、原付きを除く免許所有者は横ばい。自分の人生からバイクを忘れている潜在ユーザーに訴求したい」と同社広報の花澤さん。FC加盟店は最近1年で20店舗増加。「エリアトップのバイク売り上げがある会社が紹介の形で加盟している」という。

同社はこれまで、「レンタルバイクFC事業」、「レンタルバイク直営店事業」、「オートバイ販売事業」を柱に営業していたが、新会社をFC本部として業務内容を明確化することによって、レンタル分野でのマーケット拡大を目指す。本年度の売り上げ目標は30億円。

今後の展開について、花澤さんは「旅行代理店やホテルとの提携によるプランの反響が大きい。今後も積極的に取り組んでいく。利用者からのニーズがある『乗り捨て』や季節に応じた割引プランなどのオプションも検討したい」と話す。

レンタル料金は貸出時間によって異なる。8時間では、普通二輪=9,600円〜1万2,000円、大型二輪=1万2,000円〜2万3,200円。

編集後記
会話文による解説と豊富なイラスト&演習問題で基本の経営戦略を策定する際のポイントとは?
経営環境分析は内部環境分析が鍵となる。
中小企業での経営戦略と支援制度の活用。
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東大阪の町工場、子供用板金キット販売 ものを作る面白さを体感して

子供たちにものづくりの面白さを伝えようと、東大阪市高井田中の精密板金加工会社「ワイ・エム・シートメタル」が子供用「ものづくり体験キット」の販売を始めた。道具で鉄板を曲げたり、たたいたりしてサイコロや貯金箱の組み立てに挑戦してもらう製品。同社の担当者は「自分でものを作る喜びとともに、難しさも体感してほしい」と話す。

製品のタイトルは「小さな職人さんシリーズ 見習いさん編」。サイコロ、貯金箱、ペンスタンドの3種類があり、縦約20センチ、幅約28センチの鉄製の板からパーツを切り離して組み立てる。

切断やヤスリがけ、曲げ加工、接合など板金の基本技術を体感できる内容で、開発した同社の森本孝富さん(38)は「道具を使い慣れていないと、組み立てるのに1〜2時間はかかります」。

製品化は6年前。小学1年だった自分の子供に手製のパーツを与えて貯金箱を作らせてみると、ゆがんだ完成品だったのに大事に使い続ける姿を見たのがきっかけだ。企業経営者たちの集まりでアイデアを披露。関東地方の企業も協力に名乗りを上げた。

ものづくりに興味を抱き、将来の担い手になってもらうのが理想だが「道具を使えば、いろいろなことができるということを体験してもらえればそれでいい。将来製造業の仕事に就かなくても、経験はさまざまな分野で役立つ」と森本さん。難易度を上げた「班長さん編」「工場長編」なども検討している。

キットは1980円。購入申し込みは同社((電)06・6784・7898)。

編集後記
社長と社員全員が一緒に考える
経営者の仕事は未来を、戦略を考えることだ。しかし「高級路線で差別化」などお題目のような戦略を唱えている会社は多い。
これでは現場がどう動けばいいかわからない。
本書は経営戦略立案の実践で使える戦略ツールを、社長、事業部長、そして将来、経営を担っていくべき人のために体系的にまとめたものである。
今まで、なんだか経営戦略のことがわからなかったという人にもしっかり「腹に落ちる」一冊。

【送料無料】経営戦略立案シナリオ

経営者の仕事は、営業、マーケティング、開発、生産、人事などを俯瞰し、全体最適を考えること。著者が体系化し、現場での実験を重ね、実践で使えるようにした経営戦略の5つの道具「戦略BASiCS」の使い方を解説する。

なぜウチのカレーは高くても売れるのか? 2

また、うちでは、時間のかかるカツカレーを注文した方がいらいらしているようなそぶりをしたら、その方に代わって、従業員が厨房に、「カウンターの方のカツカレーはまだですか?」と聞くようにしています。そうすれば、待っている方は、「ああ、自分のことを忘れていないんだな」と思える。

サービスとはお客さまの身になって、洞察力を働かすことです。大声で「らっしゃい!」とか「ありがとございまーす」とか声を張り上げることじゃない。うちは町の食堂ですから、会釈でいいし、あいさつに大声はいりません。大声よりも、心をこめて、ありがとうと言うことです。

自店を見ていると、きりがない。あるとき、静岡にあるチェーンをすべて見て、山梨へ行き、そこから八王子、そして、都内の24時間営業店全店をまわったことがある。36時間、ぶっ通しでまわったこともあります。

お客さまの気持ち、感情がつかめれば、それに対応したサービスができます。私の場合は毎日必ず、アンケート葉書をじっくりと読んでいました。今では1カ月に6万から7万通のアンケート葉書が届きます。私が会長だった7年半前は3万通でしたが、それにはすべて目を通していました。内容は10対1くらいで、お褒めの言葉が多いのですが、店にとって価値があるのはお叱りの葉書です。「従業員に無視された」「注文を取りにくるのが遅かった」「従業員が私語ばかりしていた」「カレーの温度がぬるい」……。

私は苦情の葉書はコピーして、余白に「至急、善処して下さい」と書きこんでから、苦情のあった店にFAXしました。クレームに対して素早く真心で対応すれば、大抵はお客さまは許してくださるでしょう。しかし、放っておいたら、お客さまは二度と来ません。そして、クレームというのは、実はその店に限ったことではなく、どこの店でも起こりうることなんです。ですから、私は苦情の内容をまとめて、全店に配りました。これは今も続けていることです。

私は現役時代、趣味も持たず、友人もつくらなかった。飲み屋へ行ったこともありません。仕事の邪魔になることは何ひとつやらなかった。年間5640時間、働くこともあった。そうやって率先垂範しないと、部下は働いてくれないと思ったからです。

そんな私が若いビジネスマンの方たちにアドバイスできることが2つあります。どちらも即効性はありませんよ。やり続けることが前提です。

早起きと掃除をすること。朝早く起きて、自分の仕事場の周辺をなるべく広く掃除する。仕事場のなかだけじゃダメです。そうやって汗を流していると、他人から姿勢を評価され、信用につながる。しかし、損得や打算を考えてはいけません。雨の日も用事のある日も休まずに掃除する。私は雨とか台風、それから体がだるい、熱っぽいという日こそ燃えました(笑)。よーし、今日はいつもより長い時間、掃除をするぞ、と。早起きと掃除が不況を乗り切る道です。

編集後記
CoCo壱番屋を全国チェ-ン店に育てた男の逆境力
常識の逆をやれば上手くいく。オンリーワン、ナンバーワンへのこだわり。

【送料無料】日本一の変人経営者

なぜウチのカレーは高くても売れるのか? 1

CoCo壱番屋は日本最大のカレーチェーンだ。1978年、名古屋市の郊外に第一号店をオープン、今では1207店を擁する巨大チェーンとなった。年間の売上高は699億円(2009年5月)。

創業者で現特別顧問の宗次徳二は幼いときに施設へ預けられた。彼は本当の親を知らないし、本当の名字も知らない。そうしたハンディキャップをものともせず、高校を卒業後、懸命に働いた。02年、53歳で引退するまで、年間5000時間以上も働いたこともあるという。お盆も正月も休まずに、CoCo壱番屋を大きくしてきたのである。そんな彼の基本姿勢は「ライバルを気にするな。自分の店を自分の目で店舗に赴きチェックし、お客さまを見ろ」ということだ。

私は同業者の動向を気にしたことはありません。ほかのカレーチェーンへ入ることもないし、今、話題の300円弁当を気にすることもありません。他店のことを考えるよりも、自分たちの商売に徹するのがうちのやり方です。

大切なのはお客さまが何を欲しているのか。私は常にそれだけを考えてきました。自分たちの考えが正しいかどうかを教えてくれるのはお客さまだけだと思っています。それに、うちはただの町の食堂ですから、難しいことを考える必要はないんです。

CoCo壱番屋のカレーは個性があるわけじゃない。値段も安くはありません。ラッキョウだって、無料でなく、ひと皿で30円いただいています。町の食堂として、普通の味であればいいんです。

ただし、創業の頃から、ほかのカレー屋さんとは違うことをやっています。それは熱々のカレーを提供すること。ほかはたいてい、大鍋でカレーを温めて、そのままライスの上にかけます。しかし、うちでは27人前の大鍋で70度から80度に保温しておき、お客さまからオーダーが入ったら、一人前ずつ小鍋で再加熱し、温めます。沸騰させてしまうと、カレーの香りが飛んでしまうので、直前で小鍋を火から下ろす。加えて、皿もウオーマーで温めておきます。私は喫茶店の店主から出発しました。喫茶店でコーヒーを出すときは必ずカップを温めます。それと同じ気持ちで、第1号店で、初めてカレーを出したときから、現在まで、皿を温めています。

ライバル店を観察するより、「自らが現場に赴き、自分の店を厳しくチェックする」が私の考え方です。では、どこを見ればいいのか。商品よりも接客をチェックします。それは接客ができていない店はたいてい、売り上げが落ちるからです。私が会長をやっていた時代、800店まで出店しました。そのうち、閉めたのはわずか2店です。どんな店でも、トップが現場に赴き、厳しい目でチェックすれば持ち直すと思います。

では、当時の私は、接客のどこを見ていたかですが、まずは働いているスタッフの数でした。私は「ゆとりシフト」を組め、と指導していたのです。お客さまが店に入ってきた、その瞬間に、いらっしゃいませと言えないような従業員の配置ではダメだからです。値下げをしたり、こだわりの味を出すよりも、飲食店は基本的なサービスをきちんと守らなくてはならない。

次にチェックするのが提供時間です。注文してから、カレーがお客さまに届くまでの時間を私はストップウオッチで計測します。揚げものがつかないカレーの場合は再加熱の時間も含めて速やかに提供するようにしています。そうした店のチェックのとき、店長がほかのお客さまよりも、私に先にカレーを持ってきたことがあります。私は厳しく怒りました。お客さまが第一。私に気を使ったりするような、間違った判断は許しません。

編集後記
お客様の意見は生きた教科書である-。壱番屋をトップシェアに導いた成功の秘密は、アンケート葉書に寄せられた客の声に耳を傾けること。「お客様の本音」から何を学び、どう活かしたかを豊富な実例とともに明かす。

CoCo壱番屋 答えはすべてお客様の声にあり (日経ビジネス人文庫) (文庫) / 宗次徳二/著

トヨタも驚愕!伊那食品工業「48期連続増収増益」の秘密 4

時間をかけることに対して人は鈍感だ。目標を達成するには時間軸を長くとって、自分の未来に自信を持てばいい。そうすればたいていのことは実現できる。ただし、目標の達成は未来のことでいいけれど、着手は今すぐでなくてはならない。

時間軸ともうひとつ大切なのは「公」を意識すること。うちには「仕入れ先を大切にする」「町づくりをしっかりやる」といった決めごとが10カ条あるが、その精神は、公を意識しながら会社を運営していくことの大切さだ。公を意識することは、すなわち自分自身の行動を客観的に眺めることにつながる。経営者や上司が公の意識を持ち、大きな視点で行動していれば、おのずと社員たちとのつきあい方にも節度が出てくる。

最後に、人間関係をよくするために何をするかと問われたら、答えはひとつしかない。それは利他ということ。自分だけの利益を追求するのでなく、他人も一緒に幸せになろうということ。私にとって利他の対象はまずは社員だ。

むろん、人生にはつらいときや苦しいときがある。でも、そんなときは「自分は小説の主人公なんだ」と思い込めばいい。そして、「小説のなかで今はつらい時期だ。しかし、この小説(人生)は必ずハッピーエンドで終わる」と考えれば、乗り切ることができる。

結局、ビジネスマンにとって必要なのは自分なりの「軸」を持つことだ。いくら本を読んだり、勉強会に出たりしても、自分自身の軸が確立していなければ他人の意見やトレンドに流されてしまう。「年功序列を守る」「リストラはしない」といった決めごとは会社としての軸を持っていなければ実行できなかった。

編集後記
激しく変化する時代の波の中で、正しい道を歩み続け、自分とつながる人々の幸福を守っていくには、原点回帰という改革が常に必要です。一年半の間に、お互いの会社を訪問し合い、じっくりと語り合った対話集。

【送料無料】幸福への原点回帰

トヨタも驚愕!伊那食品工業「48期連続増収増益」の秘密 3

私が入社した50年前には、地域にいくつもの寒天製造会社があった。当時の寒天の用途は和菓子の原料。しかし洋菓子の流行などで需要が減り、従来の得意先だけを相手にしていた寒天会社はつぶれてしまったのだ。

責任者になったのは寒天の売れ行きが減速し始めた頃だった。従業員は十数人で、しかも皆、私より年上。私はとにかく仕事を覚えようと、工場に2カ月間、泊り込んだ。しかし、いくら熱心な態度を見せても社員たちの態度は変わらない。ただ、私には社員たちの心の痛みに共感する気持ちがあった。

画家だった親父が終戦の年に病気で亡くなり、母が子ども5人を抱えて働いた。貧乏暮らしだったことに加えて、私は17歳で結核にかかり3年間病院で寝ていた。逆境にいたから人の痛みはよくわかる。だから社員たちの態度がすぐに変わらなくても、自分が相手に対して愛情を示し続けていればいいと思っていた。

会社として形になってきたのは責任者になって20年も経った頃。うちはほんの少しずつ成長して、今のような形になった。

私が大事にしていることは3つある。それは時間軸、公、「利他」ということ。

まず時間軸だ。私は常に会社の永続を目指すと社員に話している。会社が長く続くために急成長は必要ない。

屋久杉の年輪をご覧になったことがあるだろうか。年輪はものすごく細かい。屋久杉は低成長だからこそ、6000年も生きていられる。会社も同じ。1年の成長が少ないほど長生きできる。

会社の成長というと世間一般では売上高が増えることと考えている。しかし、わが社の定義は違う。仮に売上高が同じでも、適正な利益があり、その利益を正しく使って外部の人も社員も「自分は成長した」と実感できれば、それが「成長」だ。きざな言い方だが、社員全体の幸福度の総和が大きくなっていくことが当社の成長なのだ。

社員に対してこう言ったことがある。

「おい、うちもルイ・ヴィトンみたいなブランドになろうよ」。皆けげんな顔していた。「そんなの無理ですよ」って。私はふたたび問いかけた。

「どうして無理なの。何も明日やあさってにヴィトンになるって話じゃない。オレが死んだ後の社長でもいいし、その次の社長でもいい。50年、100年かければできないことはない」

編集後記
「いい会社」とは、単に経営上の数字が良いというだけでなく、会社をとりまく総ての人々が、日常会話の中で「いい会社だね」と言ってくださるような会社のことです。「いい会社」は自分たちを含め、総ての人々をハッピーにします。そこに、「いい会社」をつくる真の意味があるのです。

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トヨタも驚愕!伊那食品工業「48期連続増収増益」の秘密 2

そこで、まずは情報を共有することにした。当社では幹部だけが知っている数字などない。製品をどれだけ売って、どれだけ儲かったかは社員なら誰でも知っている。また、リストラをやったことはないし、これからもしないつもりだ。

給料も地元では高いほうだ。社員旅行も、39年も前から1年おきに海外へ出かけている。そして、万が一社員や社員の家族の身に何かが起きたら、私は完全に面倒を見る。

5年ほど前のことだが、社員の自宅が火事で全焼した。消防署から第一報が入ると、私はすぐ陣頭指揮に立った。

「第1班はすぐに駆けつけろ。状況がわかったらオレに知らせるんだ。第2班は炊き出しの用意をして現場へ急行すること。そして、第3班は待機だ」

社員は火事の現場に駆けつけてきて、それぞれ着るものや家具をカンパした。会社は被災した社員に建て替え資金を貸し出した。利息は一切取らない。火事に限らず、私は困っている社員がいれば何でも面倒を見る。そして、約束したら絶対に守る。この50年間、それを続けてきた。

家族のように思うといっても、私は特定の部下と飲みに行ったりはしないし、社員の結婚式にも極力、出ないようにしている。全員の式に出席することは不可能だからだ。加えて、当社では部下は上司に贈り物をしてはいけないと決めている。逆に上司が部下におごったり、プレゼントするのは大いに結構。どんどんやりなさいと言ってある。

部下を怒ることもある。しかし、それは仕事の成績が悪いといった理由ではない。そして、自分の感情にまかせて声を荒らげたこともない。叱責するのは怠慢に対してだ。何度も同じミスをしたり、約束を破ったり……。実際、そのような部下は少ないが、そういった場合は机を叩いて怒る。

編集後記
いい会社は「遠きをはかり」ゆっくり成長
南信州にある、社員300人弱の寒天メーカー。「会社は社員の幸せのためにこそある」をモットーに、創業以来48年間、連続増収増益の奇跡の会社だ。その経営者・塚越会長のもとには、大企業の首脳が教えを請いに訪れているという。その経営哲学のすべてを情熱的に語りおろす!

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トヨタも驚愕!伊那食品工業「48期連続増収増益」の秘密 1

長野県の伊那市に本社を置く伊那食品工業は寒天のトップメーカーだ。1958年の創業から48年間、増収増益を達成し、現在の売り上げは165億円、従業員は約400名。同社が国内マーケットに占めるシェアは8割、世界でも15%となっている。不景気の到来で、経営の前途に不安を抱く企業が多いなか、毎年着実に成長する同社の経営姿勢に関心を抱く人々は多く、帝人、トヨタグループ幹部等が同社を見学に訪れている。

1937年、長野県生まれ。伊那北高校を肺結核により中退。58年伊那食品工業に入社し、83年代表取締役社長に就任。2005年から現職。著書は『いい会社をつくりましょう。』。趣味は写真で、伊那谷の四季の風景をカレンダー、ポストカードにしている。塚越寛会長は伊那食品の実質的な創業者で、21歳のとき、社長代行として経営に参画した。

会社を強くするものは何か。経営者としてずっと考えてきた。出た答えは「社員のやる気を引き出すこと」。やる気を引き出すことさえできれば会社は強くなる。

例えば機械はカタログに書いてあるスペック以上の仕事はしない。しかし人間はやる気になったら、やる気のない人の3倍くらいは働く。人間は頭を使うから、自分で工夫して仕事の能率を上げていく。では、具体的には何をすればいいのか。

考えた末に、ひとつの答えを出した。やる気を引き出すには社員に「これは自分の会社だ」と思わせればいいんだ、と。社員が自分のうち(自宅)のように感じる会社にすればいい、と。たとえ会社ではダメ人間でも、うちに帰れば立派なお父さんだという人はたくさんいる。金を稼いで、家庭を守り、子どもの面倒を見る。家族を守ることに手を抜く人間はいない。それは「家庭は自分のもの」と思っているからだ。

会社もその人にとっての家庭にすればいい。これが一般の会社だと、社員持ち株会などをつくって、株を分けたりする。しかし、それくらいのことでは社員は会社を家庭だとは思わない。

編集後記
なぜこの会社には、4000人もの学生が入社を希望するのか?なぜこの会社は、48年間も増収増益を続けられたのか?なぜこの会社の話を聞いて、人は涙を流すのか?6000社のフィールドワークで見出した「日本一」価値ある企業。

あ【送料無料】日本でいちばん大切にしたい会社

岡崎の老舗和ろうそく店、火災乗り越え再始動−伝統の灯、絶やさず /愛知

今年1月11日に店舗・作業場・住居を全焼した磯部ろうそく店(岡崎市八幡町1)が、火災から98日目となる4月19日、仮作業場でろうそく作りを再開した。

「こんなに早く仕事が再開できるとは思ってもみなかった。火災の後、近所の方や同業者などから多くの励ましや協力をいただき本当に助けられた。そうした方たちの思いを背負って作らせてもらうという気持ちでいる」と9代目店主の磯部亮次さん。

エアコン付近の漏電が出火原因。夜中に出火した火は瞬く間に広がり、自宅からろうそく作りの道具類まで全てを焼失。磯部さんと母親の冴子さんは着の身着のまま焼け出され、一時は再建を断念しかけたという。

しかし、300年続く老舗を守り続けてきた磯部さんの姿を知る地元の住民や同級生、職人仲間が、住居の提供や道具の製作などを次々と申し出た。「自分一人のこととして簡単にやめると言える状況ではなかった」と出火当時を振り返る。「最初はどのくらい取引先が減るかということばかり考えたが、新しい出発地点に立ったつもりでゼロからスタートしようと腹をくくった。自分の店以外にも所属する団体などの役員なども引き受け、必死にやってきて振り返る暇もなかったから、一度リセットするいいチャンスと捉えた」とも。

今回、100日足らずでろうそく作りが再開できたのは、名古屋の同業者から和ろうそく作りの生命線である竹串を譲り受けることができたことが大きいという。「代々受け継いできた2万本の竹串が消失したため、新たに作ってもらう段取りをしたり、グラスファイバーで代用品を試作したりしていたところへ、同業者の親族が廃業するので道具を譲ってもいいと連絡をくれた。思いもよらなかった偶然に、自分に『ろうそくを作れ』と言われているような運命の巡り合わせを感じた」と磯部さん。譲り受けた串は3,000本と以前に比べ少ないが、当面はこれで和ろうそく作りに当たるという。

来年1月11日、1年ぶりの再オープンを目指し、店舗・作業場兼住宅の新築計画も進めている。「居住空間は最小限にして、ギャラリーとして使える空間を設けようと思っている。職人仲間の作品を展示したり、和ろうそくの明かりの演出で何か会を催したりして情報発信の場にしたい」と先を見据える。

編集後記
三ツ矢サイダーが誕生してから125年以上になる。
1年間で、清涼飲料の新商品は1000点におよぶ。
しかし、そのうち生き残れるのはわずか数点のみ。
そのなかで長年にわたり生き抜いてきた。戦前は清涼飲料の王様として君臨した。
文豪の夏目漱石が「命の水」として頼り、宮沢賢治が天ぷらそばとともに味わい、戦艦大和の乗組員に愛された。
戦後はライバルの出現により苦しんだが、2007年には年間売り上げ3000万ケースを達成した。その奇跡の歩みを追う。

126年!なぜ三ツ矢サイダーは勝ち抜けたのか (講談社+α文庫) (文庫) / 立石勝規/著

日々の経営に行き詰まりを感じたり、ストレスがなかな取り除けないと思ってダラダラと仕事をしていませんか。
ときには、非日常を求めて、癒しを求めてちょっとだけ旅行でもしてみてはいかがでしょうか。
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