コロナで「売れた」商品 爆発的に売れた麦芽飲料

麦芽飲料も特異な動きを見せた。麦芽飲料と言えばネスレのミロ。鉄分やビタミン、カルシウムなどがバランスよく含まれている栄養機能食品である。健康志向が高まる中、昨年3月あたりから需要が伸びてはいたのだが、7月に入ってツイッターで話題になると、爆発的に売れ出した。
8月上旬に対前年比289%を記録したところで生産が追いつかなくなり、9月末にいったん販売が休止された。

そこからは流通在庫がはけていくだけなので、徐々に伸び率が下がり、11月16日に販売が再開されるやいなや、再度爆発的に売れ、12月7日週には対前年比1000%を突破。またもや供給が追いつかなくなり、12月8日に再度販売休止を発表した。

再び流通在庫からの販売となり、その後は週を追うごとに落ち続け、1月25日週にはついに対前年比5%、つまり95%減まで落ちたが、3月に入って供給が再開、スーパーやコンビニの店頭に戻ってきた。まだまだコロナ禍は続く。今後も思わぬヒット商品が誕生することは間違いないだろう。

【東日本大震災10年】倒産は 「今なお発生し続けている」

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東日本大震災が発生した2011年3月11日から、まもなく10年になる。同年3月から21年2月までの10年で、震災被害が倒産の直接・間接的な要因となった「東日本大震災関連倒産」は累計で2061件にのぼった。負債総額は累計1兆7143億円。帝国データバンクが2021年3月8日に発表した。
倒産件数は、震災1年目だけで513件に達し、1995年に発生した「阪神・淡路大震災」関連倒産の394件、「2016年 熊本地震」関連倒産の61件(件数はともに21年2月時点の累計)をも優に超えた。

■コロナ禍で経営環境に厳しさ、懸念される「息切れ型」倒産
最大震度7の揺れに加え、東北地方の太平洋側沿岸を襲った巨大津波、東京電力・福島第一原子力発電所の事故などで、直接・間接を問わず過去に類を見ない広範囲な地域の企業が甚大な被害を受けた。工場など設備の損壊や、従業員や取引先の被災や販路の喪失、国内サプライチェーンの寸断などで事業継続がままならなくなった企業が続出。震災直後から、東北3県を中心に多くが倒産。その影響は直接被害を受けなかった企業にも及び、全国各地に広がった。
しかし発生から10年が経つと、震災に起因する関連倒産は、年々沈静化に向かっている。2020年3月〜21年2月までの1年間では40件と、1年目の513件に比べて1割未満の水準に減少した。
これまでの10年をみると、なお未だ1件もなかった月はなく、関連倒産は月平均3〜4件のペースで発生するなど、震災による影響がくすぶっている。

この間、経営を再建させ事業を軌道へ乗せることに成功した被災企業がある一方、震災以降経営を立て直すことができずに行き詰った企業は少なくない。震災を要因とした倒産の中には、当初の経営再建計画の甘さや経営手法の問題などがあったとしても、「10年が経過した今、一概に東日本大震災だけが経営破たんの引き金となったとは言い難い側面もあろう」と、帝国データバンクはみている。
たとえば、「タイサン」ブランド知られた水産加工・販売業者の太洋産業(東京都中央区)は、岩手県大船渡市にあった主力の大船渡工場が震災で全壊。経営再建を進めていたが、サンマの不漁などが追い討ちをかけたことで業況が改善せず、資金繰りが悪化して2018年7月に民事再生法の適用を申請した。
2020年以降の新型コロナウイルスの感染拡大による景況感の落ち込みは大きな痛手だ。東北の主力産業でもある観光やイベントの自粛が続き、倒産の新たな「火ダネ」になっている。

たとえば、福島県猪苗代町の田村屋旅館は沼尻温泉で最大規模の温泉旅館で、国内の利用客に加えて年間5000人ほどの外国人観光客利用があった。ところが、東日本大震災と福島第一原発事故の影響で、震災前まで利用が多かった学生や訪日外国人観光客が激減。その後も客足は回復せず、借入金の返済に苦慮してきた。
そこに新型コロナウイルスが襲いかかり、宿泊客の相次ぐキャンセルが発生。ついに自力での事業継続は不可能と判断し、2020年3月に民事再生法の適用を申請した。
震災から11年目に入っても被災地を中心に、こうした震災に起因した「息切れ型」倒産の増加が否定できない。

淡路島の西海岸にカフェ続々 「ポテンシャル最大限に」

淡路島の「西海岸」に新たにカフェが登場した。淡路市野島蟇浦(ひきのうら)の「ミエレ ザ ガーデン」。西海岸では様々な飲食店が相次いでオープンし、島内外から若者や家族連れが訪れる人気スポットになっている。

淡路市の西側はもともと「西浦」と呼ばれてきたが、10年ほど前に門康彦市長が市議会で「西海岸の方が島外の人に分かりやすく、観光面でイメージアップになる」と提案。いまでは呼び名が定着しつつある。
市商工観光課などによるとパソナグループが2012年からレストランを相次いで開設。ここ数年は同グループ以外のパンケーキ店やイタリアンレストランもオープンするなど、約10店が立ち並ぶ。
「ミエレ ザ ガーデン」は約170平方メートルで、フランス発祥のサンドイッチ「カスクート」が楽しめる。80席のうち20席は屋外のテラスにあり、目前に真っ青な海を望める。パソナグループの新店舗だ。
同課の担当者は「西海岸は夕陽の百選にも選ばれた景勝地。このポテンシャルを最大限に生かした形でにぎわいがつくられており、さらなる観光振興に期待したい」としている。

「初めて銀行で借金をした」落合務シェフが語るコロナ禍の飲食店

■約2ヶ月の休店を余儀なくされ
1月7日以降、埼玉県、千葉県、東京都及び神奈川県を皮切りに発出された2回目の緊急事態宣言によって、多くの飲食店が悲鳴を上げている(大阪府、兵庫県、京都府、愛知県、岐阜県、福岡県は2月28日をもって解除)。あたかも新型ウィルスまん延の根源であるかのように喧伝された外食産業のダメージは小さくない。

あまたある東京のイタリア料理屋の中でも、最も予約のとりにくい店、銀座「ラ・ベットラ」もまた、コロナ禍とは無縁ではいられなかった。現在も、3月7日の緊急事態宣言解除まで、約2ヶ月強にわたってお店は閉められている。
新型コロナに対して、「ラ・ベットラ」の落合務オーナーシェフは早くから警戒感をもっていた。去年も、最初の緊急事態宣言が発出される前の3月下旬には早々に店を閉め、1ヶ月半の自主休業に入る決断をしていたのだ。

 ーー去年の2月、コロナが騒がれ始めたときにどんなふうに先行きを見ていましたか。
まず、当初、中国発のウィルスと言うことが心配でした。というのも中国は、すべてのデータ類を公にすることはないので、僕らは対応できない、と思ったんです。だから、これはひょっとしたら、大事になるかなと思った。
ちょうど2月末に京都で「日本イタリア料理協会」の見本市のイベントを3日間にわたってやっていたんです。けれども、イベント初日の夜、テレビを見ていたら、小池都知事が都の大規模イベントを延期、中止すると発表した。その夜、すぐにみんなを集めて、明日、明後日の2日間の見本市はやめようと会長である僕が決めた。
70、80社が参加して、もうみんな配送しちゃっていたからいろいろ不満も出たけど、謝ってとにかく中止にしたんです。僕のお店も、もし何かあったら、お客さんや従業員、契約している会社にも迷惑がかかるから、国から言われる前に休むことにしました。


■無借金で経営してきたことによる「落とし穴」
 ーー従業員の方の給料はどうされたんですか。
銀座、池袋、お菓子の店を合わせるとうちは全部で45人くらい従業員がいるんですが、6〜7割など最低の給料は出してました。だから、初めて銀行に借金をしに行ったんですよ。5月まで休むなら、これはもう金が足りなくなるに決まっているから、と。
この店はずっと無借金で経営してきたんです。いままで借金をしてなかったことを誇っていたわけですけど、でもそれは逆に、銀行取り引きから言えば僕が信用がないということだった。そんなことも初めて勉強しましたよ。

6月から再び営業をスタートさせて、それまでは35席ぐらい入れていたのを23席にして、夜は1回転。最初の頃は9時前までお客さんが来たら入れていて、10時閉店にしていた。それでも70、80%の売り上げがあった。ランチも2回転していましたし。ただ、そのうち、今度はランチも控えろ、みたいなことが言われ出した。もう何言ってんだよって、思いましたね。

 ーー一方で、落合さんは、政府に陳情に行かれたり、一般社団法人「食文化ルネサンス」を立ち上げて声を出していきます。
外食産業は、26兆円産業と言われているのに、それが軽視されているのが悔しくて。グチを言ってても、泣き言を言っててもしようがないからね。国会に人を送ったり、陳情して、動かして変えていかないと、と思ったんです。コロナ禍で気づいたのは、俺たち飲食業は、結構軽んじられてたのかな、ただの飯屋と思われてたのか、ということでした。僕の店にも、他のみんなの店にも国会議員の人たちも食べにきているわけです。でも、こうした飲食店の大変さを分かってもらえていなかった。
きちんと外食産業のことを考えてくれる、事情をわかってくれる人たちが国政に参加してくれないと、これから先、外食産業に携わる人たちの生活も守っていけないな、と今回、強く思ったんです。僕たちも、耐えているだけじゃダメなんです。ずっと耐えてきたけど、今回、耐えきれなくて、なくなっていく店もあったわけだから。僕たちの実情をわかっている人が僕たちの声を届けてくれないと、僕らの未来はないですから。


■前向きに考えて、進んでいかないと
 ーー今回、外食が思うようにできなくなって、逆に外食文化の大切さに気づいた人も多いですね。
単にご飯でお腹をいっぱいにするだけなら、2人で食材買って、1000円でお腹いっぱいになるじゃないですか。レストランに行ったら、なかなか1000円じゃ食べられない。そういう意味では、わざわざレストランで食べなくてもいいんですよ。食べなくてもいいんですけど、レストランで食べるのって、そこに何か希望があるじゃないですか。レストランを予約して、お腹をすかせて向かうときの楽しみ、わくわくするような前向きな気持ち。そんなとき身体からは本当にいいオーラが出ているでしょ。

イタリア語ではレストランはリストランテというんですけど、それはリストラの語源なんです。イタリア語で言うとリストラーレ、再構築、改めて力をつけるという意味です。レストランに行ってパワーをもらう、パワーをつける。レストランはそういう場所なんですよ。僕たちは、そういういい場所をお客様に提供させていただいているんです。だからこそ、お客様が喜んで、安心して使ってもらわないと僕たちも困るし、何か不安があったら、心から「いらっしゃい!」という感じにはなれないんです。
僕は、僕たちは、リーマンショックのときも、東日本大震災のときも乗り越えてきた。今回も、料理の質が落ちたとか、そういうことではなく、お客さんが来られなくなったわけです。だから、僕らは、前向きに考えて、進んでいかないと。
僕は、いつも「それは難しい」とか、「できない」とかマイナスな言葉を使いたくないと思っています。難しい、と口にしたら、それでぱたっと終わっちゃうじゃないですか。だから、「それは簡単じゃないかも知れないけど」、「時間がかかるかもしれないけれど」と言いながら、先につなげていきたいんです。前向きな姿勢さえ忘れなければ、乗り越えられない壁はない、と信じています。

コロナで収入が大幅減した人々の声

■新型コロナで収入が減った人の声を紹介
新型コロナにより勤務時間が削減されたり、勤務先が倒産したりして減収した人は多い。
三重県に住む50代の女性は「収入は約10分の1にまで減った」(教育・保育/フリーランス)と深刻さが伺える。
「3月は20万円、4月は5万円。小口貸し付けで今どうにか生きています」
コロナ前後の収入について、具体的な金額について言及する回答もあった。
「飲食業、子供2人家族持ちで24万円→14万円に減りました」(京都府/40代男性)
「20万円→14万円まで減った。給料は減っているのに税金はまだそのまま。コロナの期間に税金が減少されれば、助かります」(愛知県/20代女性/エンジニア)

確かに、収入は減っていても税金や生活費などの支出が減るわけではない。給付金10万円を受け取って久しいが、給料が減り続けている人にとっては焼け石に水だろう。
実際に、「3月には20万円、4月には5万円と極端に減った」という60代の女性も「定額給付金をいただきましたが、2か月貯めた家賃に消えて、社会福祉協議会より小口貸し付けをしていただき今どうにか生きています。政府の方は10万円でみんなが生きていけると思っているんですかね?嫌気がさします!」(サービス・販売)と憤る。

年収150万円減のシングルマザー「貯金もないのでこの先がとても不安」
「打撃を受けているのは飲食業だけではない」と語るのは40代の女性。夫がフリーの音楽講師と演奏家をしているという。コロナ禍の今は
「主に吹奏楽部の現場に指導に行っていますが、部活もできなくなってしまったために仕事がありません。オンラインレッスンできるように投資し設備を整えましたが、そう簡単に仕事がありません。持続化給付金も底をつきました。緊急小口資金なども利用していますが、結局借金。高校に上がる息子も奨学金を借りて行かせる予定」(千葉県/フリーランス)
だという。収入はコロナ前より9割も減ってしまい「先のことを考えると笑って過ごせません」と不安を綴っている。

「年収が150万円ほど減った」というシングルマザーの女性は「昨年の緊急事態宣言から一気に仕事が減り、自宅待機もかなり増えて今年に入ってからも週の半分は休み。貯金もないのでこの先がとても不安です」(千葉県/50代女性/設備・交通)と語る。
月換算すると10万円以上減った計算だ。シングルで子供を育てながらこれほどの収入減に見舞われれば、不安も相当大きいだろう。

なぜネギが1本1万円でも売れるのか 「葱師」という職業B

■生産者の強みを生かし収益源を多角化目指すは年商10億円

――一方、ネギを出荷していない時期の収入確保に向け、カボチャなど他の作物の栽培や、ネギ餃子やキムチなどの商品の企画・販売などにも挑戦したそうですね。

はい、本気で挑戦して全て失敗しました(苦笑)。実感したのは、僕らは野菜という生産物を扱っていて、このジャンルにはとてつもなく大きな競争相手が存在しないから、やっていけているということ。僕らが餃子を1000円で売っているそばで、大手食品メーカーはおいしい餃子を大量に作り、200円程度で売っている。そんなマーケットでは、価格でも物量でも物流でも全くかないません。

農家の収益多角化のために「6次産業化」ということがよくいわれますが、「そこに飛び込むな、生産者としての強みを生かせ」と言いたい。僕は曲折を経て、ネギの苗を売るビジネスという答えにたどり着きました。これなら、本来の強みを生かして収入を得ることができます。この秋からスタートした事業ですが、年5000万円の売り上げを目指しています。

――生産性向上や働き方改革など、マネジメント手腕にも注目が集まっています。

現在はパートを含め40人ぐらいのスタッフがいます。「週2回、8〜12時」など選択肢を示して、働き方は自由に選んでもらっていますが、一人ひとり「やること」が決まっていて、全てにおいて作業効率を測り評価しています。

例えば手作業でネギを収穫する「ネギ掘り」は、人によってスピードも違えば丁寧さも違う。そこで、その日に誰が何本掘ったかを表にして張り出したり、うまい人の動画を他のメンバーに見せて違いを解説したりといった工夫をすると、スピードが劇的にアップしました。工夫次第で、生産性はまだまだ上げられるはずです。

――スタッフに支払う給料も上げていきたいとか。

そうですね。今はパートの時給が最高で1100円程度ですが、これを1500円まで上げたいと思っています。ねぎびとカンパニーは今、「年商10億円」という目標を掲げ、全員で達成を目指しています。仕事の生産性を上げ、会社の稼ぎが増えれば自分の給料も上がる。それを分かっているから、皆一生懸命頑張ってくれるのだと思います。

――日本の農業は担い手の高齢化と後継者不足が深刻です。

農業を始めて10年たちましたが、こんなに面白い仕事はないと実感しています。一方で、若い人にその面白さが十分伝わっているかというと、決してそうではない。農業に関心を持ってもらうには、業務改革や労働条件の整備、能力に応じた報酬を払える仕組みづくりに加え、農業自体のイメージを変える必要があります。

僕は農業の世界に素人として入り、栽培法や売り方、働き方まで全て自分でつくり上げてきました。ネギ農家ではなく、「葱師」という新しい職業をやっているイメージです。この姿を通じて、新たな農業の可能性を知ってほしい。初代葱師として、若者たちが持つ農業のイメージを変えることも、自分の使命だと考えています。

太さも味も最上級のネギ「モナリザ」を1本1万円で販売するねぎびとカンパニーを率いる著者は、10年前に脱サラして農家に転身。生育データの分析や実験を繰り返し、上質なネギを効率的に生産する栽培法や独自の販売網を構築。自由度の高い働き方や時給の引き上げなど、働き方改革にも精力的に取り組み、魅力ある仕事としての農業の実現に奔走する。金融業界からスタートした異色のキャリアや独自の栽培法、経営哲学を解説しながら、ブランディング手法やビジネス成功の秘訣を説く。

なぜネギが1本1万円でも売れるのか 「葱師」という職業A

――最初は全くこだわりがなかった「味」の追求にも、早々に取り組み始めたそうですね。

それまで金融業界にいた僕にとって、農業の世界は驚きの連続でした。一番納得がいかなかったのが、作物を売る価格を自分で決められないこと。原価に関係なく、競りで価格が決まってしまうのです。

今、秋冬のネギの平均的な小売価格は3本198円程度ですが、この価格は20年間ほとんど変わっていません。一方で、生産に必要な肥料やガソリンの値段、最低賃金はどんどん上がっている。原価は確実に上がっているのに、最終価格は変わらず、その分をネギ農家が負担してきました。

どうしたらネギの小売価格を上げることができるのか。とことん考えて得た結論が、他のネギより一見して太くて立派だと分かり、味もおいしいネギを作ること。そして、農協に頼らずスーパーや飲食店に自分で営業に回り、直取引で買ってもらうことでした。

――太くて甘いネギの安定的な栽培法をどう実現したのでしょうか。

色々と勉強して分かったのは「栽培方法に正解はない」ということ。覚悟を決めて、思い付くことを全て自分の畑で実験していきました。

例えばうちの畑は、他のネギ畑と比べて圧倒的に雑草が少ない。これは農作業をする際、雑草の種が発芽する条件を極力排除するよう、作業工程を細かく決めて、それを忠実に実践しているからです。コストがかさんでも有機肥料しか使わないし、土をフカフカに保つ工夫も凝らしています。おいしいくて太いネギを効率的に生産する方法を、実験を重ねながら一つひとつ開発してきました。

――主力ブランド「寅ちゃんねぎ」は、糖度が20度とフルーツ並みで、2Lサイズで2本298円程度と高単価での販売を実現しました。

「3本198円」の壁を越えるためにあらゆる努力をしました。スーパーや飲食店に持ち込み、バイヤーやシェフに食べてもらい他のネギとの違いを分かってもらったり、メディアに出て宣伝したり。

15年には、3〜4Lサイズにまで育ったネギを「真の葱」と名付け、8本1万円で売り始めました。今は毎年限定30セットをネット販売しています。さらに、19年から取り組んでいるのが「モナリザ」という1本1万円のネギです。定植した年300万本の中で数本しか取れない、4〜5Lサイズにまで育った素晴らしいネギです。20年は2本で注文を止めましたが、21年以降も販売をしていきます。

超高級ネギも手掛けることで、「あの生産者のネギだったら、2本298円でも買いたい」と消費者に思ってもらえるからです。

なぜネギが1本1万円でも売れるのか 「葱師」という職業@

■ねぎびとカンパニー代表 清水寅氏
働きがいと生産性を兼ね備えた農業生産法人を経営「初代葱師(ねぎし)」が挑む新しい農業

――山形県天童市で、農業生産法人「ねぎびとカンパニー」を経営する清水寅さん。高級ブランドネギの生産や、生産効率を重視した組織運営などが評価され、2019年には山形県ベストアグリ賞を受賞しました。キャリアの出発点は金融会社のサラリーマンだったそうですが、転身のきっかけは。

天童市にある妻の実家で10年ほど前、親戚のおじさんから愚痴を聞かされたことがきっかけです。「山形の農家は年寄りばかりで、元気がない。あんたが元気にしてくれ」と言われて、その気になってしまいました(笑)。

当時はまだ20代でしたが、消費者金融の営業職としてキャリアを積んだ後、系列子会社の社長を任せてもらうなど、やりがいのある仕事をさせてもらっていました。ただ、そうは言ってもサラリーマンはサラリーマン。大きな仕事を任せてもらえるようになるほど、「自分の資本で勝負をしてみたい」という思いを抱くようになっていました。そこにおじさんのぼやきが聞こえてきた。会社を辞めて天童市に移り住み、農業を始めました。11年3月、30歳の時でした。

――それまで農業の経験はあったのでしょうか?

全くありません。まさにド素人でした。だから農業を始める時、どんな作物だったらベテラン農家に勝てるのか、真剣に考えました。「やるからには日本一になりたい」と思っていたからです。

――ネギ農家を選んだ理由は。

最初に考えたのは、ライバルが少ない作物ということです。サクランボやラ・フランスなど山形の名産品では、たくさんのベテラン農家がしのぎを削っています。素人の自分が勝てるとは思えませんでした。また、コメのように機械化が進んでいる作物も避けようと思いました。そうした作物は大規模農家が圧倒的に多いし、設備の導入に多額の資金が必要です。

消費者がそれほど味にこだわっていない作物という点にも注目しました。それなら素人の自分が作っても「まずくて食えない」とは言われないだろう、と(苦笑)。

――ネギの栽培法はどうやって体得しましたか?

天童市には、周囲の農家から「ネギの神様」と呼ばれている生産者がいました。そこに毎日通い詰め、手伝いながらネギ栽培の基本を教えてもらいました。今もとてもお世話になっている僕の師匠です。

畑を借りるにしても、どこの誰だか分からないよそ者の僕に先祖代々の土地を貸すなんて普通はあり得ないことですが、「師匠の弟子だから」ということで貸してもらうことができました。

――農業を始めてわずか3年で、栽培面積を5.4ヘクタールにまで増やしたとか。

どんな仕事でも目標設定は重要です。農業を始める時、「3年以内に新規就農者のネギ作付面積日本一になる」という目標を掲げ、達成しました。その後も面積を増やし続け、20年にネギを植えた面積は9.2ヘクタール。畑は天童市内に約100カ所あります。年間出荷数は200万本、売り上げは年1億8000万円になりました。

北海道 時短要請終了でも「客足戻るとは…」募る不安

■「期待持てない。残るのは厳しい現実」
新型コロナウイルスの感染対策で、札幌市内全域の飲食店などに出ていた道の営業自粛要請が3月1日に解除される。営業制限の全面解除は約4カ月ぶりとなるが、札幌・ススキノの飲食店主からは「客足が戻るとは思えない」とため息が漏れた。同居人以外との飲食自粛などの要請は続く一方、営業自粛の協力支援金はなくなる。「歓送迎会の人出も見込めなくなる」と冷ややかな受け止めも広がった。
「さあ3月からという期待は、とても持てない」。ススキノで居酒屋を経営する木村正美さん(58)は嘆いた。異動期の宴会需要は見込めず、「支援金はなくなり、厳しい現実だけが残る」とこぼした。
新型コロナの影響に伴う飲食店への自粛要請は昨年11月7日、ススキノ地区の接待を伴う飲食店などを対象に導入された。今年2月16日からは札幌市内全域の飲食店に拡大し、午後10時から午前5時までの営業自粛を求めてきた。


■後ろ指さされかねない
ススキノのすし店経営吉岡龍介さん(45)は「ススキノは取り返しがつかない悲惨な状況になってしまった」と憤る。店の明かりは消え、人通りは減り続けた。「時短営業が感染防止に効果があったのか検証すべきだ」と訴える。
客の側は複雑な胸中を明かす。豊平区の会社員西村康友さん(48)は時短期間中、一度もススキノに足を運ばなかった。10年来のなじみの居酒屋も複数あるが、顔を出せていない。「店を支えたいが、飲み歩いていると後ろ指をさされかねない」と心配を口にした。

早くも酒の卸売り業者には注文増↑ 緊急事態宣言解除へ

2021年2月23日に大阪・兵庫・京都の3府県が、3月7日の期限を待たずに、緊急事態宣言の解除をするように国に要請しました。
いよいよ出口が見えてきた緊急事態宣言。2月末に緊急事態宣言が解除された場合、兵庫県は3月7日まで、営業時間短縮の要請を現在の午後8時までから午後9時までとする方針です。これまで要請に応じてきた飲食店は…

「1時間でも延びた方がいいです。午後8時まででは皆さん食事ができないので困っている方が多いですね。」(円山飯店神戸三宮店の店員)
歓迎する声があがる一方で、遅い時間帯の客が多いというミュージックバーの店主は不安を口にします。
「今よりよくはなると思うんですが、(時短営業で)時間が間に合わないので、平日はおうちで過ごすことに慣れてしまっていて、時間を戻してもお客さんが街に戻ってくるのかなというところはすごく感じました。」 (UndergroundGalleryMusicBar 千田麻里亜さん)
京都の木屋町にある居酒屋も手放しには喜べないようです。創業71年の「れんこんや」は、他府県からやって来る観光客の利用が多いため、まだ安心はできないといいます。緊急事態宣言が解除された後、飲食店などへの時短要請をどうするか京都府はまだ決めていませんが、店主の伊藤さんは大阪や兵庫と足並みをそろえた対応をとってほしいと話します。


「うちは京都外の客が多いし、人が動くようになると余計そうなると思うので、その時に足並みがそろっていないと混乱するんじゃないかなと、個人的には心配ですね。」(れんこんや 伊藤美紀さん)
しかし、緊急事態宣言の解除を見越した動きは着実に広がっていて、大阪の梅田にある酒の卸売り業者では、最近、飲食店からの注文が増えているといいます。
「増え始めたのは先週・先々週ぐらいですかね。開ける店が増えてきた感じですね。」(伊吹屋 小牟礼隆之さん)
お好み焼き店の「どんたく堂山」は、1月14日以降ずっと休業していましたが、緊急事態宣言解除のめどが立ったことを受けて、2月19日から営業を再開しました。
「1か月近く休んでいると体が言うことを聞かないし、仕込みの量もどんなもんか把握できないので、それもあって開けました。」(どんたく堂山の店主)
酒の卸売り業者は、徐々に経済活動の制限が解けて商店街に大勢の客が戻って来ることを期待しています。
「ゴールデンウィークまでには時短営業要請とかも無くなってほしい。去年のゴールデンウィークはつぶれちゃったので。人が行き交ってみんな楽しくお酒を飲んで、という感じになってほしい。」(伊吹屋 小牟礼隆之さん)
日々の経営に行き詰まりを感じたり、ストレスがなかな取り除けないと思ってダラダラと仕事をしていませんか。
ときには、非日常を求めて、癒しを求めてちょっとだけ旅行でもしてみてはいかがでしょうか。
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