できる人は、軽いフットワークを兼ね備えています。
突発的な仕事にもいつでも対応できるように、軽いフットワークを意識している人です。
軽さには2種類あります。
物が少ないという意味での「物質的軽さ」と、ストレスや悩みが少ないという意味での「精神的軽さ」です。
フットワークが軽い人とは、この両方ともが軽い人を指しています。
中でも重荷を下ろしにくいのは、精神的な重荷です。
今の社会において、ストレスを避けて通るのは大変難しくなってきています。
ストレスのない人のほうがめずらしいです。
人間関係もややこしくなりがちになり、精神的に重くなっています。
私が留学していたときの話ですが、当時の私は軽いフットワークを必要としていました。
フットワークが重いせいでホームステイもできないし、日本にも帰ることも難しいくらいに物質的に重い状態になっていました。
軽いフットワークを実現させたいがために、ある日、もっている大量の物を思いきって処分しました。
売った物もあれば、捨てた物もあります。
中心となるものは、本です。
500冊以上の本が、突然部屋からなくなることはさすがに大きな変化でした。
部屋から物がなくなると、思った以上に動きやすくなりました。
引っ越しのときはいつも大量の本に悩まされていて、引っ越しがおっくうになっていました。
フットワークが鈍くなっている状態です。
日本に帰国するにしても、ホームステイをするにしても、物質的な重さはとにかくどうしようもありません。
小さくできても、重さは同じです。
軽くすることができないのです。
そういうわけで、思いきって処分しました。
次に、精神的に重荷になるような物も捨てました。
写真や手紙です。
手紙は、死ぬまで一生もつ必要はありません。
「手紙は死ぬまでもつものなのだ」と信じてしまうと、今度は自分がプレゼントや手紙を出せなくなります。
なぜなら自分のあげた手紙やプレゼントのせいで、相手は精神的に重くなってしまうからです。
「もしこの手紙捨てたら、どうなるかわかってるんでしょうね……」という脅迫をプレゼントしてしまっていることになってしまいます。
手紙を見て、受けとった瞬間はうれしいです。
しかしそのあとは、もう必要ありません。
くりかえす思い出がひとつ増えてしまって、相手にとっては精神的に重くなってしまいます。
手紙は長い目で見ると、本当は困ってしまうものなのです。
優しい人は「読み終わったら、捨ててもいいよ」と言ってくれます。
優しい人は、その手紙をずっと持っていると、相手が精神的な重荷になることを知っている人です。
私は手紙をあげるときには「手紙読んだら捨てていいよ」と言うようにしています。
相手に手紙に縛られてほしくないからです。
しかしたいていほとんどの人が冗談と受けとってしまいます。
相手は「何言ってるの。捨てるわけないでしょ」と言います。
本当に捨てなかったら大変です。
一生が持ち続け、生まれるであろう子ども、そして孫へと受け継がれていくでしょう。
家宝になってしまいます。
棺おけと一緒に入れるつもりなのでしょうか。
それでは化石になってしまいます。
捨てることができる勇気をもつことです。
これを理解できない人は、烈火のごとく怒ります。
しかし手紙の将来の行方を深く考えていくと、必ずそこへ行き着きます。
私が今まで受けとったプレゼントで1番うれしかったのは「理解」というプレゼントです。
私の23歳の誕生日に、友達がもってきてくれました。
「今日は何かプレゼントしようかと思ったけど、今、物いっぱい捨ててるでしょ。だから、物は欲しくないだろうなと思って、結局決まらなかった。ごめんね」と言いました。
びっくりしました。
つい反射的に「どうしてわかったの?」と聞いてしまいました。
私のことをあまりに理解していると感じ、超能力でも使っているのかと思いました。
そのひと言だけで、十分にうれしかったのです。
「この人は、私のことを、本当に「理解」してくれている」と思いました。
これが「理解」というプレゼントです。
「理解」は、お金では買えるものではありませんし、販売もしていません。
物ではないから重いというわけでもないし、精神的に重荷になるということもありません。
逆に、精神的に軽くなるプレゼントです。
これが、今までで1番うれしかったプレゼントでした。
編集後記
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