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埼玉県 神亀酒造 神亀【しんかめ】 純米酒 辛口 1800ml 【日本酒】■一触即発の緊張
埼玉県蓮田市・神亀酒造は人手不足が深刻な状態となった1999年、蔵に一つの亀裂が生じ、蔵人から笑い声が消えた。
麹屋(麹造りの担当)の若手蔵人が人手不足を補うために仕込みの手順を省いた。小川原は「他の蔵で通用しても、そんなやり方はうちでは通用しねえぞ」と怒声。若手蔵人は反論した。一触即発の緊張が走った。
小川原はどんな状況であろうと決まった段取りを崩すことを許さない。「一度容認するとなし崩しになって、手抜きが当たり前になる」。小川原は3カ月分の給料を手渡して、若手蔵人を解雇した。
奈良の酒蔵を辞め、この年に神亀にやってきた杜氏の太田茂典(52)は「専務(小川原)は一度言ったらきかない。原杜氏(当時)もあきれて新潟に帰ってしまった。蔵人はたった4人。僕が杜氏代行で何とか造りをして。大変な年だった」と振り返る。
1996年に蔵に入ったベテランの川畑大樹(48)は「専務は誰の賛同もなく、圧力をはねのけて純米酒を造ってきたパイオニア。だからこそ妥協できないんじゃないか」と思いを汲む。「逆風に一人って相当孤独だったと思う」。麹屋の三上博之(44)がぼそっと言った。
■小さな蔵を応援
小川原が業界に入った1960年代後半ごろ、全国の酒蔵は約3500余りあったが、現在は約1500蔵にまで減少。埼玉県も約80あった蔵が、現在は35蔵。衰退の一途をたどっている。
「隣の蔵がつぶれれば自分の酒が売れるって、そんなの根性無し。助け合ってこそ業界が元気になる」と小川原。こと、純米酒を造る蔵に限れば「ライバルじゃない。同業者だ」といい、助けを求められれば、自らの経験と技術を惜しみなく与える。「自分だけいい純米酒造ったって意味はない」
神奈川県西部にある川西屋酒造店。蔵元の露木雅一(56)は会社員を経て、27歳の時に実家の蔵に入る。露木の蔵はまだ三増酒を製造。経営はじり貧の状態だった。全量純米蔵に切り替えた直後の小川原のもとを露木は訪ねる。
小川原はほこりをかぶった純米大吟醸の古酒を開けた。露木はうまさに驚く。それから造った純米酒を小川原に毎年送り、アドバイスを請うた。「こんな飲めねえ酒、送ってくるな」。毎年毎年こき下ろされた。でも露木は食い下がった。
約15年が経過した。小川原は「いい酒になった。もっと早く知らせろよ」と怒った。小川原の後ろ姿を追い続けた露木。「専務は俺のただ一人の師匠だ」。2年前、露木の蔵は全量純米酒化を果たした。

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26BY隆 若水 生原酒 純米吟醸 無ろ過生原酒おりがらみ1800ml(神奈川・川西屋酒造店)■本気の思いに救い
「
るみ子の酒」で今や押しも押されもせぬ有名酒蔵になった
森喜酒造場(三重県)も1990年前後、廃業寸前に追い込まれたが、小川原は自分の仕事をさておき、協力を惜しまなかった。
「向こうの親父さんに恨まれてね。『娘によからぬこと教えやがって』と。障子の向こうからじっとにらんでるんだ。でも、最後には分かってくれた。蔵が生き残ってほしい。俺にはそれしかないんだ」

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すっぴん るみ子の酒 伊勢錦 無濾過あらばしり純米生原酒 1800ml【森喜酒造場 三重県伊賀…日本純米酒普及協会の代表理事の桑原裕子(59)は、体を張って全国のさまざまな蔵を助ける小川原の姿を20年以上前から見続けてきた。
「だから神亀の酒を飲んで満足してるだけじゃ申し訳ない。たとえ無償でも神亀の良さを伝えたい。専務を助けたいってみんなが思うんです」
会社経営の傍ら、手弁当で神亀の魅力を伝え歩く。「シンカメ」の認知度が高まりつつあるカナダやフランスでのコネクションを一から築き上げたのは桑原だ。
身を削った助けは巡り巡って小川原自身のもとに返ってくる。「正しいと信じた道を行く。それが、どんな険しい道でも、ジャリ道でも。本気でやってれば助けてくれる人が現れるもんだ」
■闘いの道続く
午前3時半。米を蒸す甑(こしき)に火が入る。5時ごろに米が蒸し上がり、釜場は蒸気に包まれる。放冷機で冷ました米を麻袋で包んで2階の麹室(こうじむろ)に手早く運びこむと、麹屋が台の上でほぐしながらならしていく。
その中に小川原貴夫(36)の姿もある。浅草にほど近い実家は3代続く老舗の酒屋。価格競争にさらされ家業は傾き、2002年に父子で小川原を訪ねたのを機に純米酒専門店へ転換。徐々に人気を得て、店は危機を乗り越えた。
4年前に小川原の長女佳子(38)と結婚。「専務から特別な言葉はない。何気ない会話や経験談に答えがあるのかもしれない」。神亀酒造8代目という重圧。「まだまだ時間はかかる。酒屋の経営も蔵の在り方も人生がそのまま出るものだから」
小川原は孫の啓太(2)がかわいくて仕方がない。しかし、2人の晩酌はまだ遠い先。小川原は闘い半ばだ。海外にも文化としての酒や純米酒の魅力を伝えたい。
「ワイングラスで冷酒飲むだと? 何が”クールジャパン”だ。そんなの迎合じゃねえか。日本人がワインを杯で飲むか? 間違った酒の知識がまかり通っている。それを勧める国家権力とまた闘わなきゃいけねえんだよ」
闘いの道は続く。「でもな、苦労は価値がある。本当に苦しむと、こいつ俺の過去のどういう時の苦しみ味わってんのかって想像して、少し背中を押してあげられる」
■神亀の純米酒を北海道でも広めたい
「ごめんください」。北海道の田舎町で母と妻と3人で小さな酒屋を営む主人が、はるばる蔵を訪ねてきた。「神亀の純米酒を北海道でも広めたいんです」。小川原の顔がほころぶ。
貧乏な弱小蔵。しかし、命をかけて蔵を守った先祖の思いを胸に本物の純米酒を造り続ければ、絶対に潰(つぶ)れない―。小川原はいつも心にそう思う。「よし、北海道行くぞ」。驚く主人に笑顔がはじけた。