時代の流れを読めなかった!東京都新宿区で出版業の鞄本放射線技師会出版会が破産

倒産速報 明日はわが身です。東京都新宿区で出版業の鞄本放射線技師会出版会(代表者:中村幸子)が、8月8日に破産手続きの開始決定を受けていたことが分かりました。負債総額は1億6300万円です。

会社と倒産の経緯
鞄本放射線技師会出版会は2003年11月の設立。
日本放射線技師会からの委託で、会報誌「JART」や情報誌「Network Now」などを編集・出版。
2006年9月期には約2億900万円の年売上高を上げていたが、ここ数年、業務の大半を占める同会からの受注が減少し、2011年末には事業を停止していた。

編集後記
特定の取引先だけから受注をしていた場合に、取引先が発注量を削減したときには一気に経営が悪化するのですね。
官公庁を相手にしていた土木業界と同じような構図だと思います。

自社の経営資源を活かせる途を常に模索し続けていなければなりません。レコードがなくなってCDに変わったときのレコード針製造業者、ブラウン管テレビがなくなって、ブラウン管のノウハウしかなかった下請け会社、携帯電話がスマートフォンに変わったときの携帯電話部品会社など、時代の流れ、商品の進化によって衰退したり、消滅する商品や部品があることを常に肝に銘じておきましょう。


井脇 ノブ子の不明朗な資金繰りで?高校経営の学校法人南陵学園が再生手続き開始決定

倒産速報 明日はわが身です。静岡県菊川市と和歌山県日高川町で高校経営の学校法人南陵学園(前理事長:井脇 ノブ子)が倒産しました。平成23年12月22日に民事再生申請し、8月8日に再生手続きの開始決定を受けました。負債総額は12億7000万円です。

前理事長の井脇 ノブ子は1946年2月11日に漁師の9人兄妹の末っ子として、大分県南海部郡鶴見町(現佐伯市)で誕生。
家は決して裕福ではなく、海でアワビやサザエを採取して市場で売り家計を助けていた。

1964年に佐伯学園佐伯高等学校(現・日本文理大学附属高校)を卒業し、別府大学文学部史学科に進学。
1968年3月に別府大を卒業し、拓殖大学大学院経済学研究科修士課程に進む。
この時当時の拓大の総長であった中曽根康弘元総理の秘書となり、9月には総理府主催第2回青年の船に団員として参加。
学生運動でも、70年安保闘争で民族派学生3万6000人を率いて議員会館を取り囲んだ。

1985年4月、学校法人国際開洋学園を設立、理事長に就任、国際開洋第一高等学校(静岡県)を設立し学校長に就任。

選挙では、1972年落選、1995年落選、1996年落選、1998年落選、2000年落選、2001年落選、2005年 自由民主党公認で大阪11区より出馬し地方区では落選するが、比例で復活当選をする。

2000年の選挙の時には、高等学校の教職員を選挙運動に動員した。そのため、国際開洋第一高等学校では、およそ1ヶ月に渡り授業が正常に行われなかった。

表向きは少子化により生徒数が減少して経営が苦しくなったとされていますが、不明瞭な資金繰りが最大の倒産要因ではないでしょうか。


【続報】ワンマン経営で破産!群馬県桐生市で眼科診療所の(財)臨床眼科研究所

倒産速報 明日はわが身です。群馬県桐生市で眼科診療所の(財)臨床眼科研究所(代表者:百瀬皓)が倒産しました。8月1日に破産手続開始決定を受けました。負債総額は23億1900万円です。

百瀬皓氏は眼科医として、日本で初めてレーシック手術を行い、そのときは眼科学会から「危険な手術だ」と多くの非難を浴びせられました。

しかし、その後はレーシックが広まり、世界的にも著名な眼科医として活躍していましたが、本業である病院には不在のときが多くなり、勤務医と経営方針について争いが起こり、退職していったのです。

私は事務長がしっかりしていなかったと思っていたのですが、実際には超ワンマン経営だったのですね。

眼科としては珍しく136床ものベッドで入院設備もありましたが、勤務医の減少によってベッド数を減らして診療を続けていましたが、2003年には閉院していました。

眼科医としては優秀でしたが、経営者としては残念ながら失格だったのですね。
こういうケースは他の業種にも数多く見受けられます。職人肌の経営者は借入金なしで経営をすることが原則ではないでしょうか。


眼科医のブラックジャックと呼ばれた!群馬県桐生市で眼科診療所の(財)臨床眼科研究所が倒産

倒産速報 明日はわが身です。群馬県桐生市で眼科診療所の(財)臨床眼科研究所(代表者:百瀬皓)が倒産しました。8月1日に破産手続開始決定を受けました。負債総額は23億1900万円です。

会社について
(財)臨床眼科研究所は眼疾患の研究と眼科診療所の運営を目的に設立。昭和54年に延床面積5914uの建物を建設し、「桐生眼科クリニック」を開業した。

理事長は現在、近視治療で流行しているLASIK(レーシック)に発展した放射状角膜切開術(通称:RK)による治療を昭和56年から国内で初めて行い、数多くの患者に治療を行ってきた実績をもつ。
こうして法人としては診療所の収入を中心に年間約12億円を売り上げてきた。

倒産の経緯
しかし、理事長は国外での医療活動も個人で積極的に行っていたことから法人の運営がおろそかとなりがちで、財務内容が悪化していった。
このため平成17年には診療所施設が競売処分され、18年以降は診療所の運営は行っていなかった。
その後は一部所有していた不動産の賃貸収入で年間約300万円の収入を得ていたが、過去に借り入れた金融債務の残債と、これに伴う利息が膨らみ、破産手続きをすすめていた。

編集後記
多くの眼科医や眼科学会からは危険な手術だと非難を受けたレーシック手術を日本で初めて行い、世界的にも有名な理事長である百瀬皓氏であれば保険診療ではないから適正な利益を得ることは決して難しいことはないと思えるのですがね。
もちろん、レーシック手術の競争相手がどんどん増えてきたことは分かりますが、事務長はなにをやっていたのか不思議でなりません。

眼科医としては一流であり、眼科のブラックジャックとまで呼ばれていたのですから、仕事もたくさん抱えていたはずです。
大阪大学では鉄腕アトムの原作者の手塚治と同級生で、現在77歳にもなる眼科の研究家に資金繰りのことまで理事長に押し付けるのは無茶ではないでしょうか。経営の優秀なパートナーが不在であったことが残念でたまりません。


成熟期を迎えたネット販売!。老舗ネットショッピングサイトが潟Jフェグローブ・ドット・コム倒産

倒産速報 明日はわが身です。東京都千代田区でインターネットショッピングサイト運営の潟Jフェグローブ・ドット・コム(代表者:河野貴久子)が倒産しました。7月23日に準自己破産を申請し、8月10日に破産手続き開始決定を受けました。負債総額は1億900万円です。

会社について
潟Jフェグローブ・ドット・コムは1999年(平成11年)11月に設立されたインターネットショッピングサイト運営でした。
女性をターゲットとしたファッション・ビューティーサイト「cafeglobe.com」を運営するほか、法人向けWebソリューション事業、広告宣伝事業を手がけ、2006年12月期には年収入高約7億200万円をあげていました。

倒産の経緯
しかし、その後は広告収入の伸び悩みなどから業績が低迷。
このため商品構成の見直しや従業員の削減などを図っていたが、東日本大震災の影響などから2011年12月期の年収入高は約3億5500万円に落ち込んでいた。

倒産からの感想
売上が半分になって倒産するとは本当に粗利益が低すぎるのか、借入金による利子や元金の返済が身の丈に合っていなかったのでしょうね。
借入金が全くなければ従業員9名程度の潟Jフェグローブ・ドット・コムであれば、3億円の売上で充分経費がまかなえるなずです。

老舗インターネットショッピングサイトで、運営方法には優れたノウハウを持っていたのでしょうが、楽天、セブンイレブンなどがネット販売に次々と参入して競争が激化しているのでしょうね。

インターネットショッピングは導入期・成長期を過ぎて成熟期に突入したものと思われます。
今後のインターネットショッピングは大手と魅力や個性のあるところしか生き残っていかないのでしょうね。


東京都渋谷区で元・総合格闘技「K−1」運営の潟宴Cツコムが破産

倒産速報 明日はわが身です。東京都渋谷区で元・総合格闘技「K−1」運営の潟宴Cツコム(代表者:石井俊治)が倒産しました。7月30日に自己破産を申請していたが、8月8日に同地裁より破産手続き開始決定を受けました。負債総額は調査中です。

会社について
潟宴Cツコムは、1996年(平成8年)2月に設立。「空手」「キックボクシング」などを合わせた総合格闘技として93年からイベントが開始された「K−1」の運営を手がけ、数多くの人気格闘家を生み出した。

倒産の経緯
そうしたなか、創始者である代表の石井和義氏(当時)が2003年2月に法人税法違反容疑で東京地検特捜部に逮捕される事態が発生。
取引先との関係を継続するため、当社などが保有していた「K−1」に関するイベント興行権を2003年9月に設立した新会社(鰍eEG(同所、代表谷川貞治氏)に引き継ぎ、以後は、「K−1」の商標権管理など一部業務を手がけていた。

しかし、鰍eEGは、スポンサー収入が減少するなか、ファン離れも進み資金繰りが悪化。
今年3月14日に第三者から東京地裁へ破産を申し立てられ、5月7日に破産手続き開始決定を受けていた。
なお、現在「K−1」の企画・主催・制作運営は香港のK−1グローバルホールディングスが行っている。


負債総額54億円!東京都中央区で元老舗ホテル経営の花巻管理鰍ェ倒産

倒産速報 明日はわが身です。東京都中央区で元老舗ホテル経営の花巻管理梶i代表清算人:永井清)が倒産しました。7月31日に特別清算を申請し、8月1日に開始決定を受けました。負債総額は54億円です。

会社について
花巻管理鰍ヘ、1926年(大正15年)9月に設立された業歴80年を超える老舗温泉旅館の元経営業者。
ホテル花巻」、「ホテル紅葉館」、「ホテル千秋閣」を主体に、隣接する複数の旅館とともに、東北地区トップクラスの規模を誇る「花巻温泉」として運営されていた。
70年には国際興業梶i東京都中央区)の傘下入りし、資本・役員などを受け入れ、ホテル・旅館経営以外にも、飲食店経営、バラ園運営、貸店舗業を併営。
一時はタクシー業務、ドライブイン経営も手がけるなど事業の多角化を推進し、2004年3月期の年売上高は約90億2700万円を計上していた。

倒産の経緯
しかし、その後は景気低迷によるレジャー支出の後退に加え、地元観光需要の低迷などもあり、売上高は年々減少。
2011年3月期の年売上高は約49億4000万円にまで落ち込んでいたうえ、同年3月11日の東日本大震災の発生によって宿泊、会合とともにキャンセルが相次いでいた。
この間、国際興業且蜩アにより、抜本的な経営改革を推進するなか、2011年12月に厚生労働省および観光庁から「産業活力再生特別措置法」の認定を受けたうえで、当社事業については会社分割により2012年3月1日をもって新花巻温泉梶i現・花巻温泉鰍ルかに継承。


福岡県福岡市で芸能事務所経営の潟Yームエンタテインメントが倒産

倒産速報 明日はわが身です。福岡県福岡市で芸能事務所経営の潟Yームエンタテインメントが倒産しました。8月6日に事業を停止し、破産申請準備に入っています。負債総額は5600万円です。

会社と倒産の経緯
潟Yームエンタテインメントは10年4月、設立。地元大学のミスキャンパスで選ばれた女性らで構成する、アイドルグループ「CQC’s」のマネジメントや、天神ベストホールの管理・運営などをしていた。
しかし、近年は売り上げが伸び悩み、取引先への支払いが滞ったことなどから、事業継続が困難になった。アイドルグループは既に他の事務所へ移籍し、活動を続けている。

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積極的な設備投資が負担!東京都渋谷区で八戸グランドホテル経営の鰍gGH他1社が破産

倒産速報 明日はわが身です。東京都渋谷区で八戸グランドホテル経営の鰍gGH(代表清算人:橋將)が倒産しました。7月17日に株主総会の決議により解散していたが、7月30日に破産開始決定を受けました。負債総額は21億9736万円です。

会社について
鰍gGHは八戸グランドホテル(八戸市)の経営を目的に株ェ戸グランドホテル(平成24年6月に現商号に変更)として設立。
同ホテルは市内第一号となる本格的大型ホテルとして中心街に立地、老舗ホテルとして知名度を有していた。
婚礼や各種パーティ、会議などにも幅広く利用され、平成4年3月期には年商約22億5000万円をあげていた。

倒産の経緯
しかし、ピーク以降は同業他社の市内への進出などから、稼働率の低下や婚礼関連の売上が減少に転じた。
また、過去の積極的な設備投資に伴う金融債務の負担も重荷となっていたところ、19年以降、金融機関からの借入金が相次いでサービサーに譲渡されていた。

設備の老朽化やリーマン・ショック以降の市況悪化で利用客が伸び悩むなか、23年3月期は年商約9億円まで減少。
また、東日本大震災の影響で一時的に婚礼、宴会、宿泊のキャンセルが発生し、業績悪化に拍車がかかっていた。

こうしたなか、今年5月30日の株主総会で八戸グランドホテルの事業を他社へ譲渡することを決定。
6月1日付けで事業譲渡を行い当社は移転し、商号を変更し清算手続きに入っていたが、不動産の任意売却に伴い一部債権者からの賛同を得られず今回の措置となった。

なお、関連の屑吉商店(八戸市内丸3−7−27、設立昭和61年12月、同社長、菓子・雑貨販売、負債:3664万円)も同時に破産手続開始決定を受けている。


喜多品:ふなずし老舗「廃業」 400年の伝統…不振 /滋賀

喜多品:ふなずし老舗「廃業」 400年の伝統…不振 /滋賀
ふなずし作り400年の伝統を持つ「総本家喜多品(きたしな)老舗」(高島市勝野、十七代・北村眞一さん経営)が「廃業」を理由に、同市商工会に脱退届を出していたことがわかった。ニゴロブナの不漁や伝統にこだわった製法で超高級品となり、販売不振から経営破綻したとする見方が多い。歴史あるのれんを物語るふなずし関連の文化的資料の散逸や技術の断絶を懸念する声も出ている。
 
商工会は今春、会員脱退の動きで初めて事態を知ったが詳しい事情を聞けず、負債額などもわからないという。北村さんの家族も「お話しすることはない。弁護士からも言われている」と取材に応じていない。地元住民は「今も老舗のふなずし目当てに訪れる観光客があり閉店したと説明しているが、廃業したらしい。残念だ」と話している。
 
喜多品のふなずしは琵琶湖産の天然ニゴロブナを使い、手間ひまかけて作るため、1尾数千円から1万円前後という。「昔は買えたが今は手が届かなくなった」と話す住民は多い。ふなずしを薄く輪切りにして円形に盛る豪華な「巴(ともえ)盛り」は喜多品の考案とされる。娘婿が十八代として跡を継ぐはずだった。
 
喜多品の資料や郷土史家らによると、1619(元和5)年、伊勢から大溝藩主に移った分部光信公に同伴したまかない方の山形屋(北村)九右衛門が、城下でふなずし作りを始めたのが起こりとされる。代々「山九(やまく)」の名で親しまれたが、明治になって十五代の弟の眞一さんの祖父もふなずし作りを始め「喜多品」を名乗った。「山九」本家は戦時下の物資不足でふなずし作りから離れたという。
 
ふなずしは一般に、春先にふなを塩漬けして土用の頃取り出し、飯漬け発酵させると冬に食べられる。しかし、喜多品では塩漬け2年、飯漬け1年、さらに新しい飯に漬け替え数カ月置く。家訓の「百匁(め)百貫千日」は、1尾百匁(もんめ)(375グラム)ほどのニゴロブナを使い、百貫(375キロ)入る木桶で漬け、千日以上もの歳月をかける意味という。


日々の経営に行き詰まりを感じたり、ストレスがなかな取り除けないと思ってダラダラと仕事をしていませんか。
ときには、非日常を求めて、癒しを求めてちょっとだけ旅行でもしてみてはいかがでしょうか。