独特な四つの幸福、四つのテキスト パンの木村屋総本店(東京・銀座) 1/2

独特な四つの幸福、四つのテキスト パンの木村屋総本店(東京・銀座)

日本人で初めてのパン屋
東京のど真ん中、銀座4丁目にある「木村屋総本店」は1869年(明治2年)、初代木村安兵衛が日本人で初めてパン店を東京・芝日陰町に文英堂という屋号でもって開業したのに始まる。

その年の暮れ、元数奇屋町からの出火で芝愛宕下辺りまで大火となり、開業1年もたたぬ間に、一夜にして灰になってしまったので、翌明治3年、銀座に出て店の名も今の「木村屋」と改めて出発した。

当時のパンは、ジャガイモと小麦粉をホップの煮汁で混ぜ合わせたものに酵母菌を培養したイーストで造っていた。
それを安兵衛は何とかして日本独特のパンはできぬものかと、次男英三郎、三男儀四郎らの協力を得て、いろいろ苦心研究の結果、考案したのが米と糀(こうじ)で造った酒種酵母によるアンパンである。

以来、「木村屋のパン」、「パンの木村屋」と高評を得、その後は逐次木村屋の分・支店が日本各地に増加し、今日のパン食普及の基を造ったことは周知のとおりである。

経営者の妻は格低い者より 醤油のヤマサ(千葉県銚子市)

奉公人への温情
ヤマサ醤油株式会社(千葉県銚子市新生町2丁目)は、紀州国(和歌山県)本田郡広田村出身の浜口儀兵衛が、元禄13年(1700年)に醤油醸造業を興したのに始まる。
その浜口儀兵衛家に伝わる家憲は、江戸時代の社会情勢のもとで練り上げられたものであるから、現代にそのまま当てはめるわけにはいかないが、その精神は企業経営にとって有益な心得となるものばかりである。

1、中興の祖たる祖先の勤労を常に心に銘せよ。
2、努めて陰徳を施し、決して応報を求むるなかれ。
3、財は末なり信は本なり、よろしく本末を明らかにすべし。
4、家富むといえども綿服粗食に安んぜよ。
5、家族より雇人に至るまで一般同様の食事をすべし。
6、主人たるものは身を以って家を率い、店より犯罪者を出さざらしめよ。
7、雇人を持つに家族を以ってし主人といえども奉公人同様に心掛くべし。
8、奉公人にも商売上の利潤を分かちその労に酬いるべし。
9、当主を除くのほか、食事に茶碗を用いるべからず。
10、国もとを養うには塩を以ってし、江戸を養うに醤油を以ってせよ。
11、毎年春を待って国に帰り、秋に入り江戸に赴くべし。
12、武を練り、文を学び、よろしく品格の修養を努むべし。
13、家督相続、並びに分家は、決して軽忽(けいこつ)にすべからず。
14、自ら忍びて時の至るを待ち、決して訴訟を起こすなかれ。
15、進んで田畑を購入するも、退いて所有の売却するなかれ。
16、金銭出納を明らかにするため「右は」以下の書き方を厳守すること。
17、徒手飽食して、家産を受くるを許さざること。
18、同族相救うについては、深くその原因を糾明して区別するところあるべし。
19、妻をめとるには、必ず低き者よりせよ。
20、同族者の結婚は厳禁すべし。
21、国もとに帰りたるときは、客分の待遇を受くべきこと。
22、裁縫一切は必ず家において弁じ、決して他人に託すべからず。

まことに微に入り細をうがった「掟」である。
とくに「事業は人なり」といわれるとおり奉公人に対する温情がうかがえる。ヤマサ醤油310年の永続の秘訣は、この辺にあると思う。
また、「妻選びは低き者より」の条項は、徳川家康の故事にならってか当主の心構えが、ありありとうかがい知れる。

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商人道に徹した商人 商社の本間物産(山形県酒田市・本町) 2/2

主人留守中の「家事九ケ条」

1、留守中の格別家内むつまじく、兄弟妻子たりとも悪いことがあったら即座に注意し、聞かれなかったら早速親類中に相談すること。
これは注意なり、店の者に悪いことがあったら、その振る舞いを控えおき、我帰宅の折に見せるよう。待たれない場合は親類中に相談すること。
ただし留守中は他人へはもちろん、親類にもこれまで以上に丁寧に挨拶すること、ぞんざいな振る舞いはしないこと、また、無用の世間話などしないこと。

1、店売物に油断なく精を出すこと。無銭買(掛売)多少にかかわらず同様に心得るよう、出入については間違いないよう、念入りにすべきこと。
ただし疑わしき風体の者には適当に挨拶し早速返すべきこと。着用回りよくとも商いは長居無用のいこと、我が留守と知って集まる者には特に用心し、金銭の取り出しなどは無用のこと。

1、初めての人はもちろん、従来の商人衆でもみだりに勝手回り、裏、蔵などには通さぬこと、大方店で商いすること。

1、金銭の無心にくる者があっても、留守中のことと断ること、よんどころない時は内々とし、買い物も金子の手取りない時は留守中を理由に渡さぬよう油断せぬこと。

光丘の留守中に関する「家事九ケ条」はこのほかに、飛脚、来客などに関する扱い、香典や見舞品はよろしくお断りしておくように。
その他御町方の郷中に対しての賃金は、毎日帳簿を見て日限には受け取るようにと、まことに微に入り細にわたったものである。
そしてその最後に、
我もし病死などの節は後々まで別にこのように相守るべく、しかる上は人々相応に相片付け申しべく候間疑い申し間敷きこと。
万一守らず悪心を起こす者あれば主罰がきっとある。
よって注意の心づけとし、家内堅固第一とすべきこと。

34歳の光丘が家をあけるにあたってこれだけの注意書きを与えているのは、商人道に徹した商人ということができるだろう;。

商人道に徹した商人 商社の本間物産(山形県酒田市・本町) 1/2

庄内藩の建て直しに尽力
出羽酒田(山形県酒田市)の豪商で、本間家中興の祖といわれた三代本間四郎三郎光丘は「本間には及びもないが、せめてなりたや殿様に」と唄われたように、歴代の中で最もよく知られている。
最上川の改修工事を行い、砂丘一帯に大規模な砂防林をつくって港が砂にうずもれないようにしたり、庄内藩政の建て直しに尽力したり、商売で儲けた金で広い田地を買い集め、多量の小作米を関西地方に運んで莫大な利益を得た。

光丘が明和2年(1765年)、34歳のとき、庄内藩は東照宮百五十回忌に当たって、幕府から壱万度法会の役を命ぜられ、彼は藩主酒井家より献上役の副使として日光に行くことになった。
光丘はこの旅に出るに当たって、留守を守る家人に次のような「家事九ケ条」を与えている。

主人留守中の「家事九ケ条」
1、御公儀からの触れ出しは控えおき、火の用心第一に守ること。

1、火の元には念を入れ、入浴の場合は日暮までには終わるように心がけ、その夜はその辺の火の元に気を付けること。

1、風ある夜、または世間物騒なときは、一人宛交代に不寝番をおき家内や裏も回ること。

1、朝は早く起き、食事は家中一緒しないこと。店が無人になってよろしくない。夕食後は早速、蔵々の扉を閉めること。
それから勘定を始め、店掛、蔵出しなどを考え、受払い失念なきように帳合わせすること。
七ツ半(5時頃)の取引ある場合は暮れ過ぎから別段に取り掛かり、暮れ前の店と蔵の通路の混雑を避けること、もし用事があって昼夜に限らず2人一緒の他行はしないこと。
店方の者も私用で外出しないこと、とにかく、我(光丘)の留守中は大概の私用ならば出ないこと。
五ツ半、四ツ時(9時〜10時)には表も裏も戸を閉め、家の者は寝ること。
いろいろ気をつけ、夕方親類衆が用事や見舞いに来ても長座は遠慮なく断り、また夜半頃裏回り絶えず心がけること。

「弁解は敗け」の渡世訓 焼きまんじゅうの原嶋屋(群馬県前橋市・平和町)

世は情、情義尽くすべき
「上州名物、カカア天下にからっ風」で知られる群馬県前橋市の名物といえば、焼きまんじゅうが知られる。
餡の入らないまんじゅうを竹串に刺し、味噌タレを塗ってこんがりと焼いた、この異様な焼きまんじゅうが、”商品”として初めて登場したのは安政4年(1857年)のことである。
創業者は、前橋市平和町2丁目の焼きまんじゅうの老舗「原嶋屋」の初代、原嶋類蔵だった。

原嶋屋には、一般にいわれる家訓、家憲という名称ではなく、「渡世訓」という珍しいものがある。
「原嶋屋総本家祖宗の渡世訓は万代不易の家憲なり、我裔孫、左記条々誓って之を格尊し断じて違背あるまじきこと」(安保4年丁巳4月吉祥日)
という前書きのあと、次の「本義」と「副義」からなっている。
1、世は情け情義を尽くすべき事。
2、暖簾に生命を賭くべき事。
3、誠実は渡世の骨頂たるべき事。
4、初会の客は百年の客なる事。
5、客に甲乙あるべからざる事。
6、祖宗の恩沢を思うべき事。
7、毛利公三矢の庭訓を自家薬籠とすべき事。

副義
イ、一粒の米麦軽んずべからず。
ロ、労して利あり。
ハ、箸を執るとき先祖を思え。
ニ、日限あやまたず。
ホ、微笑を忘れるな。
ヘ、弁解は敗け。
ト、渡世の業に徹せよ。
チ、忠告を容れよ。
リ、良心に従え。
ヌ、糠喜び用心。
ル、累卵の愚。
ヲ、送りものには念を入れよ。
ワ、渡る世間は情け。
カ、火災は歴史を失う。
ヨ、用談は実を執れ。
タ、他を誹謗するな。
レ、廉恥を知れ。
ソ、雑巾がけをまめにせよ。
ツ、つけ焼刃用をなさず。
ネ、寝るときは皆忘れよ。
ナ、内緒ごとするな。
ラ、楽は尽くして然るのち望め。
ム、無駄を省け。
ウ、有徳の商人たれ。
ヰ、井は命。
ノ、暖簾は信用なり。
オ、奢ることなかれ。
ク、愚痴恨み言益なし。
ヤ、焼きまんじゅは心の温床。
マ、慢心を謹しめ。
ケ、原料吟味。
フ、不用品を見直せ。
コ、困難は試練と思え。
エ、縁日を忘るべからず。
テ、出たとこ勝負を排す。
ア、汗するものに余慶あり。
サ、盛んなるとき”タガ”を締めなおせ。
キ、器材道具を粗末にするな。
ユ、ゆきずりも客。
メ、名物を誇れ。
ミ、水垢離の心。
シ、神餞怠るべからず。
エ、酔いは思慮を失う。
ヒ、額の汗が実を結ぶ。
モ、物腰はやわらかく。
セ、清潔整頓。
ス、粋も不粋も客の中。

というユニークなイロハカルタ式になっている。

家業は世の進歩に順ずべし 菓子の亀屋(埼玉県川越市・仲町) 2/2

埼玉県川越市で菓子の亀屋は、明治維新後の明治11年(1878年)、4代目は川越に第85国立銀行を創立し、取締役支配人となる。
のち、同頭取に推挙され、さらに明治29年(1898年)に、川越貯蓄銀行を営み頭取を務め、同23年には川越商工会議所を創立し、初代会頭に。
同42年(1909年)、埼玉県知事より産業功労賞を受け、同45年に82歳で長逝した。

5代目は、登録商標「3つ亀甲」を定め、名産初雁焼(甘藷煎餅)、初雁城、初雁霰、初雁糖などを考案、発売している。

6代目嘉七さんは、東京・本郷の旧藤村本店で修行のうえ、帰宅し、昭和7年(1932年)に第85、川越貯蓄の両銀行の頭取に推され、さらに同18年には国の1県1行の方針に基づき、県下4銀行を統合し、埼玉銀行を新設、副頭取を務めています。

製品は「ひなづる」「白寿羹」「小江戸の華」などを販売しており、古いのれんと新しい経営、親切、丁寧、迅速をモットーとして、亀屋独特の和・洋菓子づくりに専念している。

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家業は世の進歩に順ずべし 菓子の亀屋(埼玉県川越市・仲町) 1/2

先祖は武田家の家臣
埼玉県川越市は、戦国時代から江戸時代を通じて、関東では著名な城下町の一つであった。
江戸時代には川越字の名を天下に広め、町勢も”小江戸”といたわれたほど盛んで、明治以降は商工業地となって発達し、いまは「川越芋」を材料にした菓子類が名産になっている。

この川越市仲町に天明3年(1738年)創業の亀屋がある。当主の山崎嘉七さんは、その8代目。先祖は武田信玄の家臣山崎主税の後裔で山崎丈助という。

嘉七(以後、代々襲名)は丈助の末弟だったので天明3年、28歳のとき、川越に出て現在地に「亀屋」と称して菓子商を開業した。
2代、3代は婿養子だったが、2人はよく祖業の上物主義を守り、川越藩の御用菓子司を命ぜられた。
中興の祖といわれたのが4代目嘉七は、そのころ江戸一流の菓子店、芝の壷屋で修行。帰宅し、店を江戸屋に改造。そして、川越藩の推薦で京都嵯峨御所より、弘化4年(1847年)に「河内大掾藤原嘉永」の資格を賜り、亀屋の基をつくった。

亀屋に伝わる「山崎家々訓」5ケ条は、4代目が明治3年(1870年)11月に制定した。
1、敬神崇祖の祭を厳守すべし。
2、親は子を愛し子は従うべし。
3、人に親切、社会に奉仕すべし。
4、勤倹節約贅沢を排除すべし。
5、家業は世の進歩に順ずべし。
6、右永久に厳守せよ。
というものであった。

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従業員教育に企業の浮沈 茶・紙の江島(小田原・栄町) 2/2

茶・紙の江島(小田原・栄町)、微に入り細にわたる「店員読本」
さらに大正15年(1926年)4月1日、平八は次の「店員読本」を制定した。

1、常に店則に遵い誠実を旨とし責任を重んじ私利怠情に陥るな。
2、当店を自己の店と思へ、各自は各々店を代表する責任と誇りを忘れるな。
3、仮(たと)ひ現在は1個の雇人たるも他日は立派なる主人となる事を思い、将来の信用を礎(きず)く事に心がけよ。
4、品行は常に方正謹直を旨としいやしくも当店の名誉と信用とを毀損せざる事に心がけよ。
5、主人ならびに上長に対しては常に行儀を正しく敬虔の念を持し従順忠実を旨とせよ。
6、上長より言いつけられたる事は如何に自己の受持ちの如何にかかわらず直ちに服従しあえてこれを反問するな。
7、常に和親協力ひたすら店の繁栄を計り、特に己の労を惜しまず互いに相援け苦楽を相分かち上を敬し従い下を愛し導け。
8、常に自己責任の業務に忠実にこれが改良を計り物品の整理、場所の清掃に心がけよ。
9、営業上必要と認めることは遠慮なく随時上申せよ。
10、すべて主家の内事営業上の機密は他に漏らすなかれ。
11、来客に対してはその購否にかかわらず丁寧親切を旨とし、温容をもってこれに接し、十分の満足を与えるよう心がけよ。
12、来客の場合は、何事を置きても直ちにこれに接し、また注文に対しては出来得る限り迅速にこれを弁ぜよ。
13、販売品の説明は極めて親切にかつ真実に客より尋ねられたる祭は、たとえ多忙の場合といえども決して無愛想にわたる挨拶をするな。
14、いかにも心安き客に対する場合といえども礼儀を守り、言葉を慎み決して冗談がましき行為をするなかれ。
15、客の面前または付近にて私語し、または下級者の失策を叱責し、あるいは雑談大笑いして戯れることを慎め。
16、しいて作りたる世辞を言わんより、誠ある愛嬌をもって客に接せよ。
17、代金は一応確かめて受け、つり銭は必ず読み上げて渡せ。
18、客の去りたる後は速やかに商品を元の位置に戻すようにせよ。
19、商品の所在を熟知し値段を暗記し、商品の品切れは即時上申せよ。
20、金銭の取り扱いはあくまでも厳正に収支の途を明らかにせよ。
21、記帳粗漏にわたらざるよう、かつ常に差し引き残高に注意せよ。
22、商品什器は出来る限り丁重に扱え。
23、同僚の美事善行はこれを称揚して己の鑑とすべく、失行失敗はまた自ら顧みる誠となせ。多くの場合人の悪事を告げ口するは不徳なりと心得よ。
24、他を上げて己を奮励せよ。他を貶(おとし)めて己れ一人上がらん事を思うな。
25、店員相互の粗暴なる言語を用いることなかれ。粗暴なる言語は店の秩序を乱す源なり。

企業の盛衰、浮沈はいつにかかってもその経営に従事する従業員の良否にあるといっても過言ではない。
従業員にとって昔も今も変わらないものは、誠実に家業第一に精励するのが、その本分ではないかと思うのである。
この「店員読本」では、店員は誠実に自己の任務を遂行することをうたっていることでもうなずける。

従業員教育に企業の浮沈 茶・紙の江島(小田原・栄町) 1/2

江戸時代に複式簿記
歴史的な城下町と宿場町の伝統が、今でも色濃く残っている小田原市の通称・小田原銀座のど真ん中に、創業が寛文元年(1661年)の茶・紙商の轄]島(栄町2丁目)がある。
江島家は代々、平八を襲名しており、幕末から明治にかけて、中興の祖といわれたのが13代目の平八である。

嘉永5年(1852年)、平八は24歳のとき、商業簿記を開始し、ほとんど現在の複式簿記に近い程度に勘定体系を確立している。
経営内部における公明性を実行し、家計経済と経営経済を分離したり、決算期毎に積立金を十分に留保したりした。
商業先進性をもったすぐれた商人であった。

明治4年(1871年)の決算は、収支余剰金3953両となったことを明記し、「右相嵩儀我身の働きに非ず全家内和合一致他事無之候云々」として、大体、当時の事業奉公の理念を明確に自覚していたようである。

したがって、この指導理念はすなわち利益の分与と計算の公明性を実行したものであって、これを成文化したのが15代目平八である。
その「江島本店々則」の冒頭には
第1条 常に商道の本旨に遵(したが)い誠実を旨とし広く国家社会に稗益し延いては当店の繁栄を致し自他両全の道を以って同店経営の目的となす。
第2条 店主店員各々上下別ありと雖も一円和楽を以って共栄の実を挙げ共に福利の増進を計らざるべからず
すなわち第1条は当店経営の指導原理を明確にし、第2条においては経営内部の融和を計ることを期したものである。

権力にくみせず一業に徹す 薬のういろう(小田原市・本町) 2/2

天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めには、手兵を率いて北条についた。
小田原落城後、外郎家だけは「由緒ある家柄」だからと何の処分もなかった。
それからは武家を廃し、また医薬に専心したが、このときの屋号を虎屋と称した。「東海道名所図会」の中に外郎家の店先を描いた絵図がのっている。
八ツ棟造りの構えと店先は堂々たるもので、弥次喜多のくだりで「できまひくまのある内だ」といったのは、この八ツ棟造りを指したものである。

東海道を往来する大名や庶民は、こぞって道中常備薬「ういろう」をみやげに買い求めた。
享保3年(1718年)、歌舞伎俳優の2代目・市川団十郎は持病の痰と咳が「ういろう」で治ったと大喜び。
そのお礼に、江戸・森田座の舞台で「万病に速効あること神の如し」と自作の台詞でPRしたから、江戸中の大評判となった。

それほど有名であった外郎家の家憲は、次のとおり。
1 質素倹約を旨とする
2 衆に歓喜を施す
3 人命を重んずる
4 陰徳を積む
5 権力にくみせず
この5ケ条を残している。陳外郎の帰化以来600年、一業に徹して、今も連綿と栄えていることは、なんと言っても驚嘆すべきことである。 
日々の経営に行き詰まりを感じたり、ストレスがなかな取り除けないと思ってダラダラと仕事をしていませんか。
ときには、非日常を求めて、癒しを求めてちょっとだけ旅行でもしてみてはいかがでしょうか。