売上1億円を5年で5億円に伸ばした若手経営者が30億の負債で倒産



喜多洲山は、徳島県の小さな町にある小売業の3代目として生まれ、家業は祖父が大正13年に創業した陶器の小売業でした。
やがて父から社長の座を引き継いだ私は、「陶器だけ扱っていても未来はない」と考え、若手経営者として意欲的なチャレンジに乗り出しました。

まず業界最大手ギフトチェーンのネットワークに参加し、ギフト市場に販路を拡大しました。
先代である父の代に1億円だった年商を5億円に伸ばすことができました。当時は「5年で5倍」という演題で講演をするほど脚光を浴びました。

本業以外にも積極的に進出し、結婚する人に式場を提案するブライダルエージェント3店や、そのころ急成長産業だった携帯電話の販売店を7店、さらには本業の仕入を強化するために共同仕入会社を大阪に設立し、その代表におさまりました。

・不採算店の登場と過大投資で資金繰りが悪化
平成13年頃から資金繰りが厳しくなり、20店舗あった直営店のいくつかで、不採算店が出てきたのでした。
私はのちに「このときに不採算店を見切り、整理しておけば、傷口は大きくならなかっただろう」と述懐することになります。

そして、平成15年のある日、経理担当者が「社長!今月の手形決済がどうしても1億円足りません」と駆け込んでくる事態になったのです。

経営危機を迎えたもっとも大きな要因は、株式上場を目標に年商100億円達成に突き進んだことで、上場する際の規模を想定し、すでに1600坪の土地を購入し、1000坪の商品センターを建てていたのです。
右肩上がりだった業績に陰りが見えたことで、この莫大な投資が大きな負担になってしまいました。
負債額30億円で倒産することになります。

・差し押さえや競売などの修羅場で見えた希望の光
経営危機を迎え、生きるか死ぬかの修羅場を体験しました。

破綻の瀬戸際にあった平成17年、商法改正で会社法が制定され、組織再編という手法が認められるようになりました。

最後に、新会社をスポンサーになってくれた経営者に譲り、私、洲山は経営責任を取るかたちで、負債を残した旧会社の代表取締役としての業務に専念し、旧会社の債務弁済を継続しています。
結果、新会社は事業を継続することができました。お得意先、取引先、社員にかける迷惑は最小限で済んだのです。

事業再生をライフワークに! 体験系コンサルタントの誕生
私が事業再生を完了したのは50歳のときでした。そのとき、負債総額30億円の瀬戸際から生還した経験を生かし、事業再生コンサルタント業をスタートすることを決意しました。
自宅は残せたものの資産は限りなくゼロに近く、必要に迫られたということもありますが、苦しんでいる社長への貢献を通じて、社会の役に立ちたいという気持ちもありました。

私は平成19年に世界資格である認定事業再生士(CTP)、平成23年には立命館大学経営大学院で経営修士(MBA)を取得しました。
開業から7年後の平成24年、私が率いる喜望大地はスタート以来、約500社の再生を達成。その後も「社長に笑顔と勇気を与え続ける」というミッションを遂行しています。

会社名 (株)喜望大地
所在地 大阪市北区芝田2丁目
代表者 喜多洲山(きたしゅうざん) 愛称:洲山
社 員 11名

がんばらない成長論 [ 心屋仁之助 ]
日々の経営に行き詰まりを感じたり、ストレスがなかな取り除けないと思ってダラダラと仕事をしていませんか。
ときには、非日常を求めて、癒しを求めてちょっとだけ旅行でもしてみてはいかがでしょうか。