ニッチな和装の「誂え」で倒産した会社を再建 京都・和装卸業



大学から帰宅すると当時高校生の弟しかいなかった。和装関係の卸売をしていた店の入り口は閉まっていて、「誰が来ても家に入れてはいけない」と両親からの書き置きがあった。家業が倒産したのだった。
父が手形の連帯保証人になったために倒産に追い込まれた。

再建計画を父親と2人で練り、和装業界は長期的に市場がどんどん縮小し、単価の低いもの、付加価値の小さなものを扱っていたのでは、再建は難しい。
そこで和装の「誂え(あつらえ)」という商売をすることに。



誂えとは高価な着物を呉服屋さんで新調すると、必ず端切れが出る。
その端切れを使って、ハンドバッグや財布や草履、鏡入れ、帯留めなど、さまざまな小物を作ることである。
倒産する以前に、父が京都市内の大きな呉服屋さんから、時々この種類の仕事を頼まれていたものを注目していたのだ。
利益率も高いので、この誂えを事業の柱として成長させてはどうかと提案したのだ。

父親は京都市内の呉服屋さんすべてを回って、この誂えの仕事を提案して回った。
後には簡単なパンフレットを作成して、それを多数の呉服屋さんに配布し始めた。かなりの反応が出始めた。呉服屋さんからの注文が急増してきた。

翌年は前年度から40%増。それを5、6年続けた。
誂えは、着物のトータルファッションとなり、呉服屋さんが直接手がけないニッチであったことから、需要は大きかった。



従業員も増え、営業の範囲を大阪から山陰まで伸ばし、面白くて仕方がないという父は幸福そうだった。
事業が軌道に乗ったおかげで、自分も弟も大学を卒業できた。
大学卒業後は商社に入社し、結婚し、海外駐在となった。

後に、父はこの会社を知り合いに売却し、完全に引退して旅行や趣味を続けていたが、母親と同時期にガンが見つかり、他界した。

父が最後まで自慢していたのが、債権者への負債を割り引かないで、きちんと全額返済したことだった。
日々の経営に行き詰まりを感じたり、ストレスがなかな取り除けないと思ってダラダラと仕事をしていませんか。
ときには、非日常を求めて、癒しを求めてちょっとだけ旅行でもしてみてはいかがでしょうか。