「1年」を越えて:震災避難者はいま 唐津の男性 /佐賀

東北には戻らない… 友人との再会、心待ちに
宮城県石巻市を拠点に長距離トラックの運送業を営んでいた唐津市相知町の男性(55)は、石巻市の石巻漁港から1キロほど離れたトラック修理工場にトラックを修理に出し、工場の事務所でたばこを吸いながら工場従業員と話している時に被災した。唐津市呼子町出身だが、仕事の関係で04年から石巻市に住んでいた。
 
立っていられないほどの揺れに襲われ、パソコンや棚は倒れ、必死に事務所から外に出た。揺れが収まるまでしゃがみ込んで待つしかなかった。
 
「その場にいたみんなは『いつものことだろう』と高をくくっていた。まさか大津波が来るなんて思ってもみなかった。街に流れていた防災無線も『津波がくる模様』くらいしか言っていなかった」
 
自宅に向かって帰ったはずの工場の社長が「津波が来る。みんな逃げろ!」と叫んで引き返してきた。とっさに約10人の従業員と一緒に工場の倉庫の2階に逃げた。津波で流されていく家屋やトラックをただぼうぜんと眺めた。
 
水が引かず、その夜は倉庫で過ごした。夜中雪が降り続いた。倉庫にあったドラム缶に、燃える物は何でも放り込んだ。最後は木造の倉庫の壁までぶち破って燃やし、寒さをしのいだ。
 
翌12日の昼過ぎ、水が腰の高さまで引いたので、知人と3人で崩壊を免れた知人宅へ向かった。いつもなら車で10分ほどの距離が徒歩で6時間かかった。がれきが散乱し、遺体が倒れていた。
 
約2週間、知人宅で過ごした後、唐津に住む高校の同級生に連絡すると、車で2日かけて迎えに来てくれた。石巻の自宅もトラックも流されており、一人暮らしの男性は4月初めに帰郷した。
 
「俺なんて、相当に恵まれている。友達は迎えに来てくれたし、トラックの免許があるおかげで、すぐ運送業の仕事も見つかった」
 
昨秋、仕事で東北を訪れた。「いつも仕事で通っていた国道45号から見える松島はとてもきれいだったんだよね。三陸海岸はよかった。東北の人間性も好きだった」と懐かしむ一方で「がれきが散乱して、まだ何も変わっていなかった」とも。
 
東北には戻らないつもりだ。現在は、避難者に提供される市営住宅で過ごす。
仕事に一度出ると10日間は家に帰らない生活。時間に追われ、昨秋に東北を訪れた際も知人に会う暇はなかった。
 
それでも「次に仕事で石巻を通る時は連絡してみようかな」とポツリ。友人との再会を心待ちにしている。

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