店大きくせずとも堅守せよ 菓子の扇子(おおぎ)屋(静岡・七間町)

天保年間にカステラをつくる
徳川家康は、隠居後の慶長13年(1608)から同14年にかけて、駿府(静岡市)城下町九十六カ町づくりを行った。
同時に、商工業者を全国から招き、彼らに諸役の免除や自由営業を許したので、とりわけ商家は経済的恩恵を十分うけた。
当時の人口は10万人といわれている。したがって、駿府は江戸のように繁華な都市になるだろうから、一旗上げようともくろんで上方から移住した者が多かった。
その中の一人、谷田庄兵衛は近江国日野(現在の滋賀県蒲生郡日野町)からやって来て、よしず張りの菓子店を開いた。
これが、現在の扇子屋(静岡市七間町)である。ときに元和元年(1615)と伝えられている。以後、代々襲名している。

当時の菓子といっても酒まんじゅうぐらいしかなかったが、駿府城のすぐ前にあったので、結構店は繁盛した。
扇子屋の由来は、谷田さんの話によると、初代の庄兵衛さんがある朝、店を開けたところ扇子が道に落ちていた。「これは末広がりで縁起がいい」ということで、扇子屋を名乗ったという。

代々研究熱心で、扇子屋がカステラを作ったのが天保2年(1831)。当主が本場の長崎に出向き、同じ近江国出身の近江屋伝兵衛の店に3日間、滞在して秘伝を受けたという。
明治元年(1868)10月、明治天皇が静岡地方にご旅行、伝馬町の小倉本陣にお休みの折、扇子屋は上等な菓子を献上した。
その血を受け継いだ現当主の谷田さんは、「いかにお客様に満足してもらえるかということで、品物には自信をもって作っていますが、それには真心をこめて商いをするということが大事です。」といっている。

その扇子屋の「掟」は、8代目庄兵衛が作ったもので、次の通りである。

1、苦は楽の種、楽は苦の種。
1、主人と親は無理なろものと思え。
1、下人は足らぬものと知るべし。
1、子ほどに親を思え、子なるものは身にくらべ近き手本と知るべし。
1、御掟におぢよ火におそれよ、恩を忘ることなかれ。
1、欲と色と酒を敵と知るべし。
1、朝寝すべからず長座すべからず。
1、小なることを分別せよ、大成事おどろくべからず。
1、分別とは堪忍をもって知るべし。
1、九分は足らず十分はこぼると知るべし。

また、代々の言い伝えは、「店は大きくしなくてもよいから、堅く守っていけばよい」。近江商人らしい堅実ぶりがしのばれる。
日々の経営に行き詰まりを感じたり、ストレスがなかな取り除けないと思ってダラダラと仕事をしていませんか。
ときには、非日常を求めて、癒しを求めてちょっとだけ旅行でもしてみてはいかがでしょうか。