洋菓子に賭けた男の生涯 菓子の森永製菓(東京・芝) 2/2

この四カ条の訓戒を、太一郎は生涯忘れることはなかった。つまり常に正義の観念に支配せられておれば、己に克って正当の品を扱うことは必ず実行し得られる。そして、これが信用をかち得る本となるということ。
次に至当の価と信じ、一度発表した値段は負けないで貫徹することであるが、これは難問であったと思う。
次に10年を1期とするの考えでいないと、いわゆる毀誉褒貶など問題ではなく、必ず彼岸に達し得るのだという自信および忍耐力がややもすると鈍るものであるということを教訓している。

百万ドル富豪の夢に燃え
森永太一郎がこの訓戒を胸に秘め、百万ドルの富豪の夢に燃えて単身、アメリカに向けて発ったのは明治21年(1888)7月、23歳のときであった。
「必ず洋菓子で成功してみせる」という決意をもって、あるときはパン工場の下職、あるときはキャンディ工場の職人として働き、明治32年に帰国。
稼いだ金を資本に、日本初の洋菓子工場を創設した。明治41年(1908)、森永ポケットキャラメル(印刷箱10粒入り・10銭)を発売。これが、けし粒のような工場を、のちの大森永に押し上げたのである。
森永太一郎が発揮したパイオニア精神の根底に流れるものは、「おいしく・たのしく・すこやかに」という企業理念である。
日々の経営に行き詰まりを感じたり、ストレスがなかな取り除けないと思ってダラダラと仕事をしていませんか。
ときには、非日常を求めて、癒しを求めてちょっとだけ旅行でもしてみてはいかがでしょうか。